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169号 光と影

169号 光と影

花醍醐   金田久璋



すべ神は よき日祭れば
明日よりは あけの衣を 褻(け)衣にせん *1

ひときわ鈴の音が高まり 剣の切っ先がひかりを放ったとたん
ゆくりなく御神楽の最中に粗相しちゃった
緋色の裳裾をしたたらせ 足袋が朱に染まったの

目も合わさず
「さ寝むとは 我は思えへど 汝(な)が著(け)せる 襲(おすひ)の裾に 月立ちにけり」 *2
いやいや「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」 *3

はにかむようにひとことふたこと
禰宜さんが知らんぷりして見すごしてくれたわ
今時の神主は優しすぎて 咎める術も知らないのかしらね
しとど滲んだ白足袋が
広前を穢して神楽の摺り足を捺した

付き過ぎてるんじゃない もっと離れてよ
歌仙を巻く吉野遊行の
時分の花に会うため
少女からひとりのおみなごへ
はじめての異性となる なんらの覚悟もなく
白い夜を剥ぎ取る

たまゆら 深い息遣いのなかに舞い散る
根元に奈落を抱えて 花曇りの空に
ひとひらひとひらひかりを放ちながら
一目千本の花醍醐の
谷底を狭め 散華の闇はことほど深く
うねり逆巻く桜吹雪に
もつれながらつがいの黄蝶が
渦に逆らい抜け出ようと底ひに沈んで
中千本から奥千本へと 登り詰める前線の果てに
西行庵の谷底へと下りて行く
シロヤマザクラの花明りして
全山がいっとき後光に包まれる

眼底に降り積もる桜吹雪の
花の終わりに
ひと夜を耽り 若巫女を犯し塵にまじわる神を犯した
悦楽をことほぐ花醍醐の
今世を散り敷く
時を知り尽くすまで

なんなら 歯ブラシ使っていいのよ



     *1 神楽歌「神上」或説 末より
      2 『古事記』
      3 『和泉式部集』

焚き火   苗村和正



晴れ渡った冬の空を
小雪が舞っていた

くろぐろとした土から掘り出された葱は
おじいさんの手でていねいに
束ねられ
小屋の中に寝かされていった

森から戻ってきた少年は無口だった
焚き火の煙にすこしむせながら
ホウレンソーを食べるともりもり強くなる
あの映画のポパイのようになりたい

としきりに思っていた
少年はその日
声を出さずに涙は流れるということを知った
おじいさんの焚き火はよく目にしみた
おじいさんは黙って

火加減でも見るようにしながら
煙でむせている少年の向こうの森を見ていた

ならやま   苗村和正



古代
花は魂のうつわを包むものだった

あしびきの
山のしずくは
おとこの背中をぬらし足をぬらした

ぬばたまの
月の光は
まちつづけるおんなのむねをぬらし
ゆびをぬらした
 かなしさを
 くるしさを
 それぞれにぬれながら

古代
月は花を 花は月を
いとおしく慕わしくおもっていた
 こふればくるしとさ夜更けて
 つまこいの鹿も駆けていた
 月影をつちにふみつつ

目もと風景   柳生じゅん子



サングラスひとつで
異界へ入っていけるのか
わたしは まぶしい物事にすぐ(奪われる)
けれど 陽ざしの炙りに弱くなってしまった

黒ずんだ画面は
視野は狭まっていたが
昨日まであやふやに立ち騒いでいた
時の気配に(眩)まずにすんだ
明日を 細かいことまで揺れ惑わす
記憶の宿りを(ふさぎ)(とどめ)てくれた
浴びてきた温もりに(保養)されて
ひとり歩いてゆけた

ギャングメガネだねと呼び変えられると
ふいに 樹々から葉や花は消え
辛い風が吹き始めた
わたしも捨てばちになって壊れかけ
足を踏み外しそうな時があった
ただそこへ(据わり)(色を変え)
(角を立て)たり(物見せる)所まで
向かわなかっただけだ

顔半分を(忍)ばすことは
他者や暮らしの外観
どうしようもない立場や事情との間に
保身の距離を確保できる
容易い安定剤にもなってくる
まなざしが(長く)落ち付き
反面へ そっと(開いて)ゆける

眼鏡をはずすと
ひと それぞれ 精一杯
長い道を歩いている姿が見えてくる
かけがえのない共有の光と影に
わたしは眼精疲労の目を(澄ませ)ている

余韻   平野鈴子



あて名が雨だれで濡れている
美しい文字でしたためられ
心があらわれた便箋のぬくもり
滲んだインク

そっと触れてみる

心くばりがつづられて
雨降りゆえにきわだつ便り
もらう喜び
空蟬(うつせみ)がサネカズラに体をあずけている庭で

一通の手紙なのに
そして未だ見ぬ人なのに

お味はいかが   平野鈴子



一切の鯛の焼身をほぐし
胡瓜のしば漬をみじん切りにし
梅肉と和える
たちまち赤色を増し
香ばしさと旨味と風味
庭さきで育った大きく波のようにうねった
大葉をさいの目に切り
蓋つきの椀にふんわり飯を盛り
具をのせ大葉をちらす
熱あつの吸地加減に整えた汁をはる
赤と緑で目を楽しませ
青紫蘇の清涼感と三味一体となる
この汁かけ飯
一日の終わりの
しあわせな味

はじめての夜に   水崎野里子



あなたは怒っている
朝 フライトが飛ばなかった
成田へ着地しなかった
羽田に降りた
管制塔の許可を得るのに
深夜まで待った

私は上(うわ)の空(そら)
ねえ あなた 母は
天井を見ているの
ラファエロ?
天使が弓を持つ
羽を持つ キューピット
天井は天なんだわ
きっと
壁ではヴィーナスが誕生する

やさしさを! やさしさを!
家族の束の間の一緒の 夜
唇を噛んで 怒ることができないと
誰かが言った 私は上の空で
天使の歌声を聴く

やさしい夜 光る夜
あなたの連れて来た 異国の 素敵な
やさしい彼女 宿る小さな心臓を
スマホで一緒に見た はじめての夜

命 この世に
新しい命
やさしくね そっとね
天使の羽のように

さよなら またね
別れの車の運転 ライトが眩しい
世界よ 光を 私たちに
闇を照らす光を
天使よ 私たちに降りて来てね
裸の赤んぼの姿となって

唇を噛んで 私は
怒ることができない

永遠に来ないあなたに   水崎野里子



私が寒さで泣いていたら
あなたは来て
暖かいこころで包んでくれますか?
凍える私を?

私が黒い影に泣いていたら
あなたは来て
明るく照らしてくれますか?
怖くてうずくまっている私を?

私がひもじさに泣いていたら
あなたは来て
おいしいパンをくれますか?
ほかほかに焼きたてのパンを?

あなたは来なかった
いつも来なかった
私はからっぽの更地で
いつもあなたを待っていた

いつかあなたはやってくる
やって来て 朝露のように
しとどに流れる 私の涙を
拭ってくれる きっと

そう思いながら
こころの中でお祈りしながら
私の一生は 過ぎていきます
過ぎていきました

でも あなたはきっと
いつも私と一緒にいるのね
私には あなたが
見えないだけです

あなたは たおやかに
羞じらふ 息だから

私がドナウ河の青い波の上で
ひとりぼっちで揺れていたら
あなたは来て
一緒に揺れてくれますか?

揺れましょう あなた
人魚のように 二人で
ひとりぼっちの

あなた

古希   藤原節子



二月四日 七十歳を迎えた
中国山脈の麓の老人施設の中で

夫に先立たれ
独り身になり
体の不自由に耐えかねて
ここにに入居して
二度目の冬
私の元に小包が届いた
開けてみると
ピンクの花模様のスリッパだ
「お誕生日おめでとう 私はいつも
節ちゃんのことを心配しています」
と手紙が添えられて

贈り主は
神戸に住んでいる
私より十歳も年上の従妹
夫の死の前後
私が鬱病になった頃から
ずっとメールや電話で
励まし続けてくれた

私よりも逆境で育ってきて
今も自分の夫の介護に
明け暮れしているのに
私へのこうした心遣い

夫は天国で古希を迎え
私は古希まで生かされた
外は今日も小雪が舞っている
寒い地方だ

ピンクのスリッパで
部屋にわずかに陽がさした
このスリッパは
これから先の私のお守り

初めてのリサイクル運動   加納由将



電動車椅子に乗り始めて半月ほど経ったころ
家の前の公園まで行くことはまだ非日常で公
園の東屋の周りを回るだけで満足していたこ
ろ通り道にアルミ缶が転がっていた。偶然回
転運動している後輪で踏み付けると心地いい
音がした。後ろを見ると丸かったアルミ缶が
アスファルトに張り付いている。もう一度
戻って今度は違った方から踏み付ける。底と
てっぺんが異なる方向に張り付いて道路と一
体になった。リサイクル運動をしたような気
持ちよさを感じて散歩に出発した。

打ち水 トルネード   佐古祐二



桶いっぱいの澄み透った水

力いっぱい
勢いよくほうり投げる
割烹着姿の若女将

扇の形に広がる
水しぶき

陽の光をはじいて
ゆるやかに落下する

―やったった!

扇の要の位置で
若女将の
満面の笑顔

「作品」   ハラキン



材木屋から買った
長さ十メートルある大きな木材を
いや角材と呼ぶべきか
横たえてその上に
  〈材木なのか木材なのか角材なのか〉
ぶ厚いのから薄いのまで
厚さが異なる四枚の
鉄板を載せる
  〈鉄板は鉄工所で買った〉
すると鉄板のたわみの違いが出る
  〈「たわむ」のか「しなう」のか〉

呼称はなんにせよ材木と
鉄板は仕入れたままの状態だから
堂々と未加工だと言える
すなわち俺は「作らない」

とアナタは宣言したけれど
ほんとうにこれっぽっちも
作為は無かったのか
意匠は凝らさなかったのか

材木と鉄板の
ものとものとの関係を差し出した
  〈もの派かモノ派か〉
あの作品はあの美術館の空間に
とても似合っていた

「空間」や「場」を作品とする
インスタレーション意識は
  〈木をもう少し斜めに振ろうか〉
微塵も生じなかったのか

展示が終わると潔く解体する
その一過性にみんなが惚れた

未加工を貫くこと
「作らない」に徹すること
これは一ミリでも脇が甘くなると
瓦解する
不純でないからだろうが
すべての芸術は音楽に嫉妬する
と讃嘆された
音楽のなかの絶対音楽ですら
愛欲などの叙情の一音が
絶対に忍び込まないとは
  〈絶対はよく野犬に食われる〉
絶対に言い切れないだろう

残欠   ハラキン



仏を破り
仏を廃する
荒んだ気がしだいに漲って
首だけの如来があらわれる

物音ひとつあり得ない
黎明に
物音をすべて消し去った
積雪の地平に
明王の右手先だけがあらわれる

次いで
定印をむすんだ
両手足だけの如来があらわれる

菩薩像であろうか
右膝と蓮肉だけがあらわれる

さらには
十一面観音の
化仏の
菩薩面だけが
嗔怒面だけが
そしてついに
暴悪大笑面だけが
ゆらゆらと浮かんであらわれ
破仏を廃仏を
忿怒し
嘲笑した

破損仏像の
あらゆる残欠が
みわたすかぎり生まれ
昇る太陽を拝して
静寂のなかで
いっせいに
蠢いた
そして
いっせいに
起ちあがった

触覚   ハラキン



初老の男は瞑目し たったひとつのことに心を凝らした。
行方がわからない生母のことだけに心を凝らした。もは
や生きていないかもしれないが 生死を超えてあなたの
息子に呼びかけてくれないか。男の想いは或る夜 いつ
もより深いところまで降りたらしい。
たちまち視界が暗くなって (といっても闇ではなく 
心優しい暗がりのような) とおくのほうに幽けし光は
感じるが 何も見えず 自分が起きているのか眠ってい
るのかさえもわからなくなったとき。
抱かれた。というよりも 抱っこされた。格別な受け身
の実感で 世界は溢れた。抱っこされた我が身は見えな
い。ひたすらに肌ざわりとぬくもり。男は研ぎ澄まされ
て触覚だけになった。内的な耳に 幼いころの我が名を
呼ぶ生母の声がしずかに響く。彼女の右腕は男の背中に
まわり 温かい右手のひらは 男の頭を撫でる。左腕は
男の重さを受けとめ 左手のひらは男の尻を乗せている。
このような触覚にくるまれて 初老の男はこのうえない
幸福感に浸った。
それからは瞑想すれば 至福の触覚を体験できるように
なったという。すべてを おのれのいのちを 母なるも
のにあずけてしまう ゆだねてしまうひととき。おそら
く何も見せない掟であろうから 生母は顔どころか姿も
まったく見えない。
「顔を見たくないのか?」「顔だけでなく母の記憶が何
も無いので」「つまり君のなかに母親の映像というもの
が1秒も無いわけだな?」
初老の男は俺にこう答えた。「母なるものは触覚である」。

レクイエム   葉陶紅子



枝先で 蒼穹に画くレクイエム
時代の終わり 鳥葬に伏せ

碧空に描きし名前 暮れなずむ
闇に消えなん もう語るまい

語るまい 新しい無垢が裁くまで
地を泳がずに 空を歩まん

スモモの木のかたえで 夜が語るのを
しばし聞くべし 裸線と消えて

着飾れるものとて剥ぎし この裸線
夜にさらせば 夜は沁み入る

羊膜につつまれし人 その無垢で
裸線をみたせ 虹紡ぎ出せ

裸線より 新しき人生(お)い出でて
夜をのみこみ 真昼噴きあぐ

蜥蜴男と兎少女Ⅱ   葉陶紅子



顔手足切っても生える でも死ねば
夜が明けても 目覚めはしない

ふわふわと眠るようによ 横たわり
ただよう姿 それが死なのよ

かたち融け 素粒子となって宙を舞う
永遠の無に 戻るだけだよ

宙を舞う素粒子はきっと 魅かれ合い
夜空に浮かぶ 星座になるわ

生も死も 目覚め眠るも同じこと?
きみの理屈は 禅僧もどきだ!

昼空に 星屑見る眸(め)やしなえば
ふわふわ浮かぶ 姿見えるわ

現在(いま)のみを 生きつぐだけの脳髄の
蜥蜴男が 死に怖気づく

時計の針   吉田定一



いつも寄り添っては離れ 離れては
寄り添っていく 両針のふたり

ネジを巻くと 慌てて勤めに出掛ける
その間際 長針に短針は話しかける

「あなた 今日は何時のお帰り?
気を付けて 行ってらっしゃい」

さあ お掃除しなければ…
と 短針はおもい腰を上げる

お茶を飲んでから 始めようかしら…
あら もう一時間たったのね

――お~い 元気か!
――元気でおりますよ~

一時間ほど経つごとに ふたりは出逢い
ちらっと目と目と合わして通り過ぎていく

時間があるようでないわ と短針
いついのちが止まっても不思議じゃない と長針

ふたりの愛情を見守るように
秒針は いつもハラハラ ドキドキ

こまやかに鼓動をときめかして
ふたりのいのちの時間を刻んでいる

孤独   木村孝夫



孤独とは
心の闇の中で咲く黒い一輪の花だと言う人がいる
似合う花瓶を探すのに
苦労するらしい

本来は飾るものではない
と 言うことなのだろう
孤独な経験はあるが黒い一輪の花はみたことがない
心は隠し上手なのだ

孤独という言葉は
ポツンと取り残されて仲間外れにされたように
私の中にいっぱいあるが
これは人様には分からない

しかし名付け上手だと思う
理由もなく落ち込むとき
理由があって落ち込むとき
孤独という言葉がなかったらどうしようと思う

冬に入る前の枯れ葉を踏むように
サクサクと音などはしない
何とも言いようのないものが心の中を支配する
だから弱いとすぐに崩れる

孤独の入り口は沢山あっても出口は少ない
心の扉の施錠を二重にしても
どこからでも入ってくるから口元に指一本立て
煩わしい言葉は遮るだけ

毎日が孤独だと 言う人もいるが
本当に孤独なのかどうかは誰にも分からない
心の中の花瓶に挿してある花の色は
口には出さない

仮設住宅で六年も生活すると
一人住まいの孤独感が全く違ってきたと言う
生きなければ明日がない
気丈の真似事であっても

毎日が孤独だと言葉にできることは幸せだ
幸せの大きさは異なるが
古里に戻って味わう孤独と
仮設住宅で味わう孤独の大きな違い

いつか古里に戻った時
ゆっくりと比較してみればいい
まだ大分先の事なのだが何かが分かる筈
「孤独」 考えれば味わい深い言葉だ

秘密   田島廣子



群がる 竹 竹 竹
青々と 生い繁り
風のそよぐ中 永く待ち焦がれて
おいでおいでと 手招きをする

桃山台いちめんに 竹 竹 竹
海に寄せては返すさざ波のように
遠く 無限に広がる
あなたと わたしの愛のかけら

淡い緑色の衣を纏った 竹 竹 竹
結ばれない 男と女が
くちびるを重ねて秘密をする
夕日色に裸身(からだ)を染めながら

揺らぐ竹の 影 影 影
あなたと わたしは揺らいで
今を生きる悦びだけ残し そっと
それぞれのお墓に収められるのを 待つ

今は二〇一八年一月七日日曜日午後一二時二一分   中島(あたるしま)省吾



今は家、さっきまで郵便局まで歩いて三○○○円出しに行った
途中、アベックほぼ頭では六組全員が
しょぼんと下向いて歩いている私に「ええやろ~」が観えずとも
やってくる
視線を覚悟
そうやってくるだろうと想うが覚悟して行った
お腹が空いている
緑内障もあり
極力アベックの全体は観えないが
反対に瞳を合わさないようにうまいこと瞳ができている
すれ違いざま、ボランティアで二組のアベックを観てやった
女は腕を組んで来て
二組とも笑顔で
「ええやろ~」
こっちを観てにこにこ
単なるピーエム五時以降、完璧に音信不通な市役所の仕事の
自立支援者曰く
にこにこしているなら助けを求めたらいいとのこと
私はにこにこ自爆症になって
言われた通り
アベック一組に「助けて~や」
と話しかけた
するとこっちを観ていたのがイケズだったと分かるように
笑顔が消えて
無表情になり
男が前に出てきて
「警察呼びますよ」
と、言われた
私はやけっぱちで手に持っていた缶を落とした
すると、男が缶を拾って私の手に握らせた
「ゴミは自分で警察に持って行けや」「ゴミ不法投棄は犯罪やぞ」

私は負けたと想って
とぼとぼと歩き出した
後ろでアベックが行く
がはははわははは
と、大爆笑の声を聴いた
自立支援者曰く
にこにこしているなら、助け求めたらいいんや

間違いで
私にイケズをしているという
見方が真実だと想った
お金を下ろしているとき
どこかのおっさんが「はよせい」
アンショウ番号押すときだけ
うまいこと私のATMの隣にきた
タイミングを観て絡んできた
私は無視して
アンショウ番号押して三○○○円引き出した
横でアンショウ番号をずっと観ていたようだった
独り者はお腹がすいたので
昼ごはんにハンバーガー買うために
お金が手元になかったら死ぬからです
帰り、後ろをそのおっさんが途中までつけてきた

嫌いだから警察という時代について   中島(あたるしま)省吾



そこは禁句の矛盾だから
誰も言わないが
陥った矛盾の若い詩人は、生きてる間伝えないといけない
男は奴婢、女が選んだバレンタインなどで
判り易い
この前、大都市圏の快速が各駅になっているレベルの私の住む市の
田舎の地元の警察署から早朝、ぴんぽんぱんぽんのアナウンスで
ストーカーが逃げています、服装はこんなんで薄毛ですと
ご注意くださいとアナウンスがあり
今、5ちゃんねるで検索すると
会社の同僚が手前の奴の駅で
降りず
女の同僚の私の隣市の駅まで乗って来て
ナンパしていたようで
結局警察に捕まって罰金刑になったと
5ちゃんねるで本名出されて馬鹿にされています
嫌いだから警察という時代になりました
なんとかしたいけど
なんもできない

なきむし~光と影の世界の僕の恋愛話~   中島(あたるしま)省吾



ストーカーについて
嫌いだから警察呼んで、好きだと立ち向かったら罰金ですべて世俗生活が非難される
ストーカーについて
まだ地盤がしっかりしていない時代からの発信です

光と影を行き来するもの
それはこんな話です
この話のヤスオ君は自分です
自分の実体験です
ただし十九の頃の話に、登場人物がヘルパーとして設定しております

二○一八年一月
昨日、自立支援者におでこピタされました
お笑い芸人みたいに
なりつつある自分の光と闇の光の想い出、甘い実体験です
鼻くそほじほじの男の(獣医みたいな)自立支援者曰く「ハゲはふらんすではモテモテや」
お笑い芸人から甘いジャニーズJr.にタイムスリップ321・・・・・・

ヤスオ君(ジャニーズ系)十九歳
今日もお母さん死んで独り歩く
なっちゃんはヤスオ君のヘルパーさんです
なっちゃんは歩道で泣いています
ヤスオ君は今日も花束を抱いています
道歩く、一人歩く
なっちゃんは道端でふるえて泣いていました
どうぞ
ヤスオ君はなっちゃんにハンカチを差し出しました
なっちゃんは泣き止みません
社会が怖いんだ、アタシ
ヤスオ君はなっちゃんに唄いました
まだ、なっちゃんは泣き止みません
社会の闇を観たんだ、アタシ
ヤスオ君は花束を渡しました
するとなっちゃんは少し泣き止みました
光と影がある世界にいるんだ、アタシ
光はまだか、愛はまだか
ヤスオ君のあとを泣きながらなっちゃんはつけて歩いています
いつもどおりヤスオ君の家に入りました
ヤスオ君とkissしました
なっちゃんは笑って
ヤスオ君をベットでむさぼりました
ヤスオ君いわく「凄いくちびる」
ヤスオ君は花束をどうでもよく外にほりあげて
なっちゃんをむさぼりました
なっちゃんいわく「今度は野外や海やお日様や洞窟でしよう」
ヤスオ君いわく「凄いくちびる」
正直なヤスオ君だね
なっちゃんいわく「光と影のこの世界、大好き」

それが私の人生だから   清沢桂太郎



冬のピョンチャンオリンピック
羽生結弦は怪我を克服して
二度目の金メダル
宇野昌磨は初めての銀メダル

スノーボードの平野歩夢は
銀メダルに悔しさをにじませながら
「恐怖心に克った」という

彼らが異口同音に語る言葉は
 「自分に勝つ」
 「恐怖心に克つ」だ

古希を越えて狭心症の手術を受けた後
駅の階段を昇った時の
手術前とは質的に異なる息苦しさに
襲われた 死が近いという恐怖

循環器内科医は 血圧降下剤と尿酸排泄剤と
コレステロール合成阻害剤の外に
二種類の高単位の抗血栓薬を処方する

内出血が幾度もあった

これではいけないと再開した筋肉トレーニング
そこでも 手術前とは異なる病的な息苦しさに
心臓に不安を覚え 心臓に不安を覚えると
死の恐怖に襲われた

それが 喜寿が近くなった現在は
死の恐怖と対峙しながら
筋肉トレーニングをすることが
仏道の修行のように思えてきた
羽生結弦 宇野昌磨 平野歩夢などの
二十歳前後の若い選手の克己心がそうであるように

老いて知った健康であることのありがたさ
老いて湧き上がる
一日でも長く生きたいという欲望

私は
今日も筋肉トレーニングに励む
死の恐怖と対峙しながら
老いの限界へ向かって

それが私の人生だから

吊り橋   中西 衛



若い頃
急流にかかる
吊り橋を渡ったことがあった
狭い激流に数本の細い鋼線がはられ
そのうちの
一本の鋼線を手でまさぐり
揺れる吊り橋に身をゆだね
一歩 一歩
よろめきながら
歩を運ばねばならなかった
あのときの恐怖は
今も記憶にのこっている

渓谷にかかる粗末な吊り橋に
ひとりの女が急な山道を
荷を背負い降りてきて
吊り橋を渡りはじめる
岩をかむ急流の
下をのぞけば身ぶるいがする
女は川など見ようともしない
女は何事も無かったかのように
橋を渡りおえ道に消える

若さゆえに辿った山道と
山里の人たちの日常の生活が
交差し
いまも瞼の裏に
浮かびあがってくる
はるかな黙礼
木漏れ日
千里を駆けて
いつまでも残る
記憶と遠景

犬   根本昌幸



犬は嬉しいと
どうして尾をふるのだろう。
千切れるほどに。
どうしてか
犬に聞いてみな。
しかし 言葉が話せないから
わんわんと吠えて
やっぱり尾をふるんだ。
嬉しくない時は
うー うーと
うなり声をあげる。
つまりは怒っている時だ。

コロ、チビ、ジル、ワンコ、メリー、
ルク、キティー、ココ、

私が子どもの頃から
ずっと飼ってきた犬の名だ。
それぞれに
いろんな思い出がある。
楽しかったこと
悲しかったこと
思い出は私の中で
いつまでも生き続けている。

やっぱり尾をふって。

校庭   山本なおこ



空という空がまっ赤
校庭の

鉄ぼうに
鳩ごやの鳩のひとみに

はだかのイチョウの枝さきに
夕焼けがさらさらと降り落ちた

突然
砂場にいたわんぱくぼうずどもが

かんせいをあげながら
校庭を走りまわった

両手をつき出し
夕焼けを集めにかかったのだ!

心の中に咲いた花   神田好能



心の中に咲いた花
赤いのも美しい
黄色も美しいな
それなのに
明日は咲かないの
でも咲いた時の花を
想い出して
  咲かせてゆくの

それがせめての
老いの花
悲しくもあり
 わびしくもあり
だがけがれなく
     美しい
  花であることよ

ぼくらの文明開化   斗沢テルオ



山の奥の奥の村だった
ぼくのクラスに新任の若いおなご先生
「今度から友だちを呼ぶときは
 女子は―さん 男子には―君を
 付けて下さい」
皆ざわついた 
親の名前さえ呼捨てだった
年寄りが嫁を名前で呼ぶので
当たり前のように自分の母に「キヱ!」って
友だちなんかはあだ名でしか呼ばない
そんな村の伝統(?)に突然
さん!? 君!? 何それ!

教室は毎日ケンカ
鼻からろうそく2本垂らしてたヤゴ(春夫)には
「ちゃっぺ(低身長)!」とよくからかわれた 
それを聞いた女子軍団一斉に
「君(くん) 付けていない!」と口撃
面食らうガキ大将のヤゴ
照れくさそうに
「テ・テ・ルオ・く・ん・この…野郎…」
「なにした! このハ・ハ・ルオ・くん…」
調子狂ってケンカはいつも笑いに
「クンクン 臭せえ奴居ねがァ――」
孫っぺなんか おっと孫三君なんか
毎日おどけて走り回り――
さんと君は学校中大流行り
田舎(じぇんご)弁の中にそこだけきらりと
えふりこき(*)の町(まち)言葉

高田みき先生と言った
ぼくは先生が大好きだった
半世紀も前の
山の奥の奥のぼくらの文明開化は
教室の敬称から始まった



                 *いい格好付けること

<PHOTO POEM>
けぶる電車   長谷部圭子



雨に霞むいつもの車両
昨日とは ちがう顔
不規則に軋む車輪の音
雨水にとけた 鉄錆の匂い
雨露に濡れた 重たいコート
いつもは隠れ上手なのに
雨の日は その姿をさらけだす
小さな鉄の塊に
命を感じる けぶる電車

ガイコツのうた   高丸もと子



骨を鳴らして
響き具合を調節してさ
切ないときは
ガイコツのうた

おいらはガイコツ
嘘はつけない
隠すところもないからさ

泣いていても
笑っていても
同じ顔

切ないぜ
さびしいぜ
おいらはガイコツ
あの娘もガイコツ

変わらず
今も
今後も
ずっと
たぶん
おそらく
愛してる

ガイコツ コツコツ
ガイコツのうた
スケスケ ガイコツ
ガイコツのうた

星になってうたうのさ
風になってうたうのさ

七月の朝   高丸もと子



マンションのベランダに
干されていく布団やシーツ
朝の風にひるがえって
意気揚々としている

海原をいく帆のようだ
色とりどりの小舟もある
眠りの岸を無事に渡り終えた人々の
まぶしい営みの証

涙をたたえた舟もあるだろう
その涙もいつかは
海の一滴になって戻っていくもの
また新しい帆があちらのベランダにも

今日は航海日和
ここから手を振ってみようか

手を見つめる   もりたひらく



生きてくだけで 手いっぱいだった
死なないことを 目標に
ただ ひたすら 書いてきた
それだけを 杖にして

手を見つめる
今更ながら 振り返る
手のひらと甲とを 交互にして

転んでも タダでは 起きない
それが 誇りだと 信じてきたけれど
私の つかみ取ってきたもの
   生み出してきたものは
何?

皺に刻まれた 私の履歴書
シミに浮き出た年月に
私の来し方は これでよかったのだろうか、と
問いかけてみる

シグナル   左子真由美



書けなかったことばがあって
それがわたしのなかに
いつまでも
点滅信号を送ってくる

それは
かまどの小さな種火のようなもの
または遠い昔に消し忘れたままの
部屋の灯り

なつかしい友だちのようで
古い恋敵のようで
見知らぬ誰かの涙のようで
捨ててしまった手紙のようで

いわれのない寂しさで
わたしの肩をたたく
愛しいシグナルよ
微かでもいい消えずにあれ

はるか彼方から
送られてくるピアニシモよ
あなたは詩
わたしの哀しみと喜びに触れてくる手

参道に人影はなく   下前幸一



参道に人影はなく
木漏れ日は白く
足元を照らした
言葉ではない遺言を
空っぽのポケットに忍ばせて
石の参道を歩いた

めまぐるしく日々は移り
微かな傾きに導かれて
寡黙に今日を暮している
希望はどこにあるだろう
水際のつぶやきを
どのように聞き交わせばいいのだろう

蒸発する空の切れ目から
記憶の断片が落ちてくる
手のひらで言葉をすくい
枯れた気持ちに投げかける
今朝、僕は起きることができなかった
呼ぶ声を確かに耳にしたのに

耳鳴りは遠く
頭の中を鳴り渡る
今すぐここへ
駆けつけろと呼んでいる
何気ない暮らしの底の方から
しかしこことはどこのことだろう

砂利道の境内に僕はいない
砂漠の永遠にも僕はいない
ヴァナラシの聖なる大河や
バンコクの市場に咲き乱れる花々や
ミナレットの見える茶店に僕はいない
天安門の冷たい明け方にも

ここにも僕はいない
覚えのない疼きを抱えて
底の抜けた思い出をこぼれて
こぼれて落ちて
脳震盪の落下のさなかに
うずくまった言葉を僕は見た

正しさは破れのうちに
確かさは不確かの波間に浮かぶ
本当のことは
嘘八百の懐に抱かれている
伝言をポケットに忍ばせて
石の参道を僕は歩いた

無限   弘津 亨



0・9999…はどこへ向かうのか
教師はおごそかに告げる
0・9999…が向かう先は「1」だ
だから 「1」に等しい
黒板に書かれた0・9999…=1 という等式

教室に差し込む初夏の日差しが
困惑する子どもたちの顔を照らす
0・9999…は1とは違うよ
異議申し立ての小さな声

無限について語ることはやっかいだ 誰も
0・9999…の最後に行き着くことはできない
最後の「9」など どこにも存在しないのだから

「1」を目指しながら到達しえぬもの
腕をのばし 手をのばし 指をのばしても ついに
触れることのない夢のなかのあなたの頬のように

だから 想像することだ
無限に続く9の階段を昇り終えた小さな踊り場が
「1」であると――




     *瀬山士郎著『数学 想像力の科学』(岩波科学ライブラリー 二〇一四年)を参照した