美しい本作り。自費出版なら出版社「竹林館」
竹林館はスタッフ一同、関西発信のおもしろい本、美しい本、ためになる本、元気の出る本、etc.作りに燃えています。誠意と創造がモットーです!

2011 年 6 月 21 日

~ポエム「風」フェスティバル2011の御案内~

カテゴリー: TOPICS — chikurinkan @ 10:43 AM
 
 
   。. .。.:*・゜゜・*:.。..。
           
        詩を朗読する詩人の会「風」
          
         ポエム「風」フェスティバル2011
           
               *・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*

               時:2011年8月7日(日)
               於:エル・おおさか

                      〒540-0031
                      大阪市中央区北浜東3-14
                      電話 06-6942-0001

『アンソロジー風Ⅹ(第十集)』出版を記念する会です。
参加作品より選ばれた<風賞>を授賞いたします。
みなさまぜひご参集ください!          

          
第一部
(地下一階 プチ・エル)1:00~4:00(12:30受付開始)

 司会 蔭山辰子 参加費1500円

 ○ 開会の挨拶  佐古祐二
 ○ 講演「詩の力」 横田英子

 ○ 授賞式 選考経過報告 佐古祐二
        受賞者の言葉と朗読 

         ―休憩10分―
 
 ○「天の羊」による演奏と歌
 ○ 詩朗読 
   永井ますみ・佐藤勝太・平岡けいこ・田村照視・おしだとしこ・ 
   大西久代・武西良和・名古きよえ

 ○ 閉会の挨拶 代表 中尾彰秀

第二部(10階宴会場 竹)4:30~6:30
 『アンソロジー風Ⅹ(第十集)』出版記念会および懇親会

 司会 近藤摩耶・左子真由美  参加費5000円

 ○ 開会の挨拶 中尾彰秀
 ○ 乾杯の音頭
 ○ みなさまのスピーチ
 ○ 閉会の挨拶 佐古祐二

  

詩を朗読する詩人の会「風」世話人

蔭山辰子・近藤摩耶・左子真由美・佐古祐二・
中尾彰秀・野島洋光・水口洋治・モリグチタカミ

後援

「PO]の会/森羅通信/EARTHPOEMPROJECT/株式会社 竹林館

 
☆お申し込みは・・・

 ・中尾彰秀

    TEL&FAX 073-422-7248

 ・竹林館

    TEL:06-4801-6111 FAX:06-4801-6112
    E-mail:home@chikurinkan.co.jp

※ 電話、FAX、メールいずれでも受け付けております。
  住所、氏名、一部・二部それぞれについて参加・不参加を御明記のうえ、
  7月末日までにお申し込みください。

2011 年 5 月 17 日

3・11以後の生き方を示唆

カテゴリー: 書評の窓 — chikurinkan @ 8:57 PM

独創的な香りがただようスタイル
有馬 敲

※2011年5月21日付「図書新聞」より転載

 ▶左子真由美詩集『Mon Dico*愛の動詞』
 12・24刊 A5変型判58頁 本体1500円
 竹林館

 『Mon Dico*愛の動詞』は著者が単独で出版した七冊目の詩集である。短詩四十篇がすべてフランス語の動詞の題名、横書きの散文形式で構成されている。そしてそれぞれの作品のなかにカタカナで発音の仕方が挿入され、独創的な香りがただようスタイルだ。
 「Mon Dico」というのはフランス語の話しことばで、「わたしの字引」という意味だが、作品の内容もそれにふさわしく、それぞれやさしい語り口になっている。もっとも、「愛」という抽象的な漢字は、日本の風土から生まれたというよりは、西欧産のバターくさい輸入語じみた語感をあたえないでもない。

 愛すること。好きだってこと。これは一番
 大切な動詞。すべての答えはここにあると
 思うの。コーヒーが好き。
            〈「Aimer」冒頭〉

 愛は文学、道徳、哲学、宗教いずれの観点からいっても、もっとも根本的な観念の一つである。とくにキリスト教の文化圏でこの観念をめぐって、思想が展開していった。しかしふつうの辞書がアルファベット順に単語を配列しているのと異なり、この字引はフランス語の任意の動詞を自分流に並べていて、その作品を読んでいくにつれて、作者がキリスト教徒でないことに気づく。

 「存在と無」はムッシュー・サルトル。存
 在するとは。ここにあることとは。謎だら
 けなエートル。わかっているのはただひと
 つだけ。わたしはすっかりあなたのもの、
 だってこと。
            〈「Être」後尾〉

 さらにこんどの詩集を、同じ作者の五冊めの詩集『愛の手帖』(二〇〇五)と対比して読むと興味深い。『愛の手帖』の詩法は二七篇すべて、漢字の名詞の題名になっている。しかも、目次では漢字と横文字のフランス語で配列されているが、それぞれの作品では漢字の題名の下にフランス語読みのカタカナが示され、どの作品もすべてひらがなで表現されている。
 作者は学生時代にフランス語を学んだ。とりわけジャック・プレヴェールに傾倒して、そのすぐれた日本語訳を残しているが、その後はパリで約一年間、主婦として生活した体験を持っている。そうした土壌に培われて、前詩集『あんびじぶる*invisible』(二〇〇九)もフランス語読みの形容詞の題名で、著者の出版社竹林館から写真との共同制作を母娘の手によって、まばゆい光の手紙にして届けた。
 こんどの詩集は二〇一〇年一二月下旬に出されているが、ことしの東日本大震災、3・11以後の人びとの生き方を示唆するように重い意味を持っている。

 生きること。生きていること。生活するこ
 と。暮らすこと。田舎に。都会に。誰かと。
 誰と? みんな生きている。たとえ戦いの
 中でも。たとえ貧しい日々であっても。う
 さぎも、蛙も、蛇だってみんな。踏まれて
 も蹴られても生きている。砂漠の蠍。熱帯
 の蝶。暗い海の底の魚だって。思い出の中
 で大好きだったひとがいつまでも生き続け
 るように。ヴィーヴル。たとえようもなく
 やさしい地球の上で。
            〈「Vivre」全行〉

 作者は以前、詩集『空と地上の間で』(二〇〇二)で人間の入り組んだ感情や交錯した複雑な思いを散文詩に残しているが、こんどの散文詩ではそれらを形而上的に濾過して、生きることに愛と希望をあたえる質度の高い内容になっている。A5判変型のモノクロームを生かした表紙カバーの装丁も念入りだ。
                                                           (詩人)

2011 年 2 月 2 日

『アンソロジー風Ⅹ(第10集)』作品ご参加のお願い

カテゴリー: TOPICS — chikurinkan @ 11:31 PM

『アンソロジー風Ⅹ(第10集)』作品ご参加のお願い

 2011年2月吉日 
 詩を朗読する詩人の会 「風」

 月に一度、さまざまな詩人をお招きして朗読会を開催している「詩を朗読する詩人の会『風』」は、1974年2月2日に発足以来、今年2月で創立37周年を迎えます。このように長く継続することができましたのは、ひとえに皆様のご協力のおかげと深く感謝しております。本会は3年に1度『アンソロジー風』を発行しており、先に第Ⅸ集まで出版し、風賞も5回授賞させていただきましたが、この度、『アンソロジー風Ⅹ』を企画し作品を募集いたします(その中から第6回風賞を選考させていただきます)。
  つきましては、以下要領で作品を募集いたしますので、奮ってご参加いただきますようお願い申しあげます。

 『アンソロジー風Ⅹ(第10集)』募集要項

※左クリックして御覧ください。PDFファイルが開きます。印刷もして頂けます。

2010 年 12 月 19 日

詩と童話の境界を越えた《童話詩》の世界に誘う

カテゴリー: 書評の窓 — chikurinkan @ 11:14 PM

擬音が効果的、詩語が瑞々しいまでにイノセント
植田 隆

※2010年12月25日付「図書新聞」より転載

▶尾崎まこと著『尾崎まこと童話集 千年夢見る木』
 6・14刊、文庫判114頁・本体1200円・竹林館

 本書は童話集と記載してあるが、敢えてカテゴライズしていうならば、集中「鬼婆と河童の子」、「千年夢見る木」、「エジプトの海人」、「おれだけ村の火の玉坊や」の四篇はある意味、童話としての形式を持っており、「サクランボと大男」、「青麦畑」、「林檎ランプ」、「雪の音」、「誰なんだろう」の五篇は詩編であると見做してもいいと思う。かつて、わたしは著者の第一詩集『カメラ・オブスキュラ』に接したことがある。その時の印象でいえば、著者が紡ぎ出した詩作品は、必ずしも通例の詩という形式に収まりきれない位相を湛えていた。
 本書もまた、童話と詩篇に分岐させてそれぞれの作品を捉えられるとしても、表現された言葉から放射されたものは、絶えず物語性をおびながら、詩と童話の境界を越えて、読むものの心性を刺激してくるといえる。本書に収められている詩編は、極めて童話的であるといってもよく、さらにいえば、四篇の童話は、詩的相貌を持っているというように、作品について捉えることを可能にしている。とすれば、著者は、童話という形式や詩形式というものを逸脱させることによって、ひとつの《童話詩》のような世界を本書の中で表出しているというべきかもしれない。
 例えば、「林檎ランプ」には、こんな一節がある。
 「昼間は見えないけれど/一つ一つのまんなかに/小さな炎が/灯っているのです/夜になると皮をすかして/ほんのり明るむので/林檎山全体まるで/輝く童話の森のようです」
 林檎がランプのように灯っているという幻想的なイメージは、詩のメタファーというよりも、「輝く童話の森」という修辞が似つかわしいように、まさしく物語(童話)的だといえる。
 また「千年夢みる木」には、擬音が効果的に使われている。もとより、童話だからといって、賢治作品に見られるように擬音は別に珍しいことではない。だが、最初と最後に配置された「シューシュルル、シューシュララ/シューシュルル、シュー」は、香川県民謡の擬音と似ているが、微妙にちがうのだ。著者は、この作品の中で、この擬音を「時の流れる音だよ。/いつでもどこでも僕たちは/耳をすませば聞こえるよ」と記述していくのだが、このフレーズ自体、極めてポエジーに溢れていると見做すことができる。物語は、「南の熱帯地方の」「ハサミで切りとったようにまん丸」で、「お砂糖よりももっと細やかな粒の/流砂でおおわれていた」島に棲む、「毒なしコブラ」と「九九九年間に、九九九の夢をみた」裸の木との対話のシークエンスだ。「葉っぱの一枚もつけていない」裸の木と、「占い屋」でありながら「島一番の嫌われ者」の「毒なしコブラ」との往還は、夢を見ることが生命の証しでもあるかのように、言葉の音に共鳴していく。「小鳥たちの群れ」、「月の光」、「流砂が海に流れこむ音」といった言葉の音たちが、やがて「時の流れる音」として、「シューシュルル、シューシュララ/シューシュルル、シュー」と奏でていくことになる。わたしは、この一篇をそのように感受していきながら、まさしく《童話詩》の世界へと誘われていった。
 もう一篇について言葉を重ねてみたい。詩篇である「雪の音」は、まさしく言葉の音たちが散りばめられている。ここでもまた、「夢」を見ることが言葉の音となって表れてくる。「ふたり一緒に」みる「あたたかな夢」、「昇る夢」、「リスの大きな夢」、「熊のつつましい夢」、「蛙のゆかいな夢」、「くじけない私たちの夢」たちが、「絹ずれのような音」や「雪の音」と共鳴しあっていくのだ。この「雪の音」と題された詩篇を読みながら思うことは、詩語が、瑞々しいまでにイノセントであることだ。メタファーや粉飾のない詩語や言葉たちは、ここではひとりでに波動し合っていく。これは、言葉そのものの母型性を表出することによって、シンプルに、イノセントな抒情性を顕在化させていくことを意味する。著者の目指すポエジー(童話詩)とは、そんな世界なのだ。   (評論家)

2010 年 11 月 30 日

生活語詩の集成

カテゴリー: 書評の窓 — chikurinkan @ 2:46 PM

出版ニュース社の「出版ニュース」2010年12月上旬号より転載

▼『現代生活語・ロマン詩選2010』
      全国生活語詩の会 編
10.10.30刊 本体2500円 竹林館

 生活語による話しことばの詩を集めた『現代生活語・ロマン詩選2010』(B6判・324頁・2500円+税・全国生活語詩の会編)が竹林館から刊行された。
 書名に2010とあえて暦年を入れたのは21世紀の現時点に生きている日本の生活語の詩が収録されているからであると。
 その理由について、本書に2編の詩を寄せている有馬敲氏は言う。〈…生活語による話しことばの詩は、血のかよったことば、音声による言語であり、ことばの本源的な特徴を持つ言文一致の詩であるが、その場で消えてしまう発声作用と聴覚に依存するので、きわめて変化しやすい性質をもっている。また流行語、新語、俗語などの発生、消滅につれて変化変形し、移り変っていく。これは話しことばの詩が生きたことばで、仲間、職場、地方、性別など、生活に直結しているからである…〉。
 本書は北から北海道・東北、関東・中部、関西、中国・四国、九州・沖縄の地域に分けて141人の詩人の詩を収録。関西が最も多く53人を数える。生活語、生活語詩という発想は関西から起こったとされている所以か。
 また生活語も方言、地域語にとどまらず、日常語、俗語、外来語、専門語、隠語、さらにコンピュータ用語まで様々。
 生活語詩の一端を紹介すると。竹内美智代さん(鹿児島弁)の詩「汽車」から冒頭の2節。〈薩摩の言葉は分かりにくい/なかでもこの村の浜言葉はつづめたうえに荒くて速い
はじめて汽車が村を通った大正初(はひっ)め/この頃生まれた赤子(あかご)はキサのつく名前が多(う)かった/男の子は キサ男 キサ太郎 キサ乃介
女の子(おなごんこ)は キサ キサエ キサ子 など/汽車がなまって“きさ”それもカタカナのキサになったのだ/あまりに多(うっ)すぎていつの間にか親たちのように屋号付(つっ)きで呼ばれた/男も女(おなご)もただキサになって/「樋屋(たんこや)んキサ 「水瓶屋(はんずや)」んキサ 「羽釜屋(はがまや)」んキサ 「ちょか屋」んキサに「よろず屋」んキサ/まだ沢山(ずんばい)のいろんなキサがおって……/おかげで皆(ねっから)仲良しの汽車好(ずっ)きだった……〉

2010 年 9 月 11 日

生命の根源を起点とした世界の中で            詩語が自在に解き放たれている

カテゴリー: 書評の窓 — chikurinkan @ 10:56 PM

詩人・日高てるにあっては、言葉とはいのち(生命)と同義である
村木 哲

※2010年7月31日付「図書新聞」より転載

日高てる詩集『めきしこの蕋』
 4.20刊 A6変型判46頁 本体1200円 竹林館

 袖珍本(しゅうちんぼん)という体裁をとった、一九四九年十月に発行された日高てるの第一詩集の復刻版(原本の判型は不明だが袖珍本ではないようだ)である。袖珍本とは、袖という字があるように、衣服の袖のなかに納めて持ち歩くことができるという意味の携帯本(現在でいえば文庫本に相当か)のことである。ソフトカバーで四十六頁という端正さが、詩集名の書体とともに、いい味わいを醸し出している。そして、なによりもこの詩集名は、極めて隠喩に溢れている。“めきしこ”とは、メキシコという国のことを指すのかは不明だとしても、“蕋”は、雄しべ、雌しべの“しべ”にあたる言葉(辞書によれば、「ひも・緒などのふさのもとにつける飾り」という意味もある)なのだが、“めきしこの蕋”から漂うイメージは、一見捉えにくさを感じさせながら、なにか不思議な迷宮世界を垣間見せてくれるような気がしてならない。もとより、詩集名と同じ詩作品が収載されているが、“めきしこ”や“蕋”を直接的に喚起する詩語は見あたらない。そのようなことを思いながら、この詩集に分け入ってみれば、真っ先に詩語の緊密さ、濃密さといったことを感じる。「作品」と題した巻頭に配置された詩篇から、「街」までの十三篇の前半部にそのことは特に際立っているといえる。「さくら」から「年越え」までの後半部九篇(「めきしこの蕋」も含む)までは、詩語の緊密さが解き放たれて自在に遊泳しているかのように感じられていく。この転移していく構成は、なにを意味するのだろうかと考えていくことによって、この詩集の持つ深度に幾らかでも到達できるかもしれない。
 「かなしみに 地をこうる/執ようなる肢体。/いらくさしげる 葉うらはらい。傷む。/膚 むしり。/鱗は ほろほろ 空に散る。」(「天」)
 「地の涯にあれ。/岩礁の天。/草薔薇を喰みて 渇をかさね。/おお、燃焼の臓腑の抗い。」(「岩礁」)
 「眼窩は昏み 地を噴きあげる。/ああ これの陽炎。」(「うすばかげろうの炎天」)
 「肢体」、「葉」、「鱗」とも、「いのち(生命)」の象徴としてある。「かなしみ」、「傷む」という心象は、「いのち(生命)」あることの証しといえよう。わたしは「天」や、「岩礁」という言葉に、強い意志を思う。植物の「いのち(生命)」を「喰みて」、「いのち(生命)」を循環・再生させようとする意志とでもいおうか。さらにいえば、「眼窩」もまた「岩礁」に通底する言葉(生命)の濃密性を露にさせていく。そう、この詩人にあっては、言葉とは生命(いのち)と同義であるのだ。
 後半部にあたる二編に触れてみるならば、「まつわりくる 影をひきづり//今宵 みずからの ひろげし翅紋。//その羽毛 狂おしく あふれくる いのち//いづかたにや おそるべき陽炎となる。」(「翅紋あるゆふべに」)や、「ふかいしづもりを はらばい//天のおくがに ひらいた花//今宵、月の滴りうけて 沈まん。」(「めきしこの蕋」)には、「あふれくる いのち」が率直に謳われていく。また、「陽炎」が持つ方位の差異が「岩礁」と「翅紋……」にはあるとみなすならば、この間隙には「いのち」の拡張感とでもいうべきものが潜在している。「めきしこの蕋」とは、「天のおくがに ひらいた花」であり、「月の滴りうけて」存在する。これは、三木成夫の『胎児の世界』を敷衍させて述べるならば、人類、動物、植物に相渉る生命循環の象徴と捉えてみたい気がするし、この詩人の詩語が放つ世界は、言葉を通した生命の根源を起点としているのだといいたい。ところで、大阪文学学校のSiteのなかで、講師紹介の欄において、日高てる(名誉理事でもある)は次のように述べている。
 「一個の他者としてサルトルから出発した批評としての詩の方法論を社会事象や事件をモチーフとして再構築し表現していきたい。――やさしい言葉で深く。それは『言葉が言うようになるまで言葉を言わなくてはならない』(M・フーコー)。言葉が言うようになるまでの根源にこだわりたい。体験は思考を欲求し伸ばす。音声表現、文字表現ともに対話により追求しようではありませんか。」
 まさしく、「言葉が言うようになるまでの根源」とは、日高にとって、「生命の根源」と同義であるに違いない。
                  (評論家)

2010 年 9 月 3 日

竹林館祭(合同出版記念会)のご案内

カテゴリー: TOPICS — chikurinkan @ 9:53 PM

* 竹林館祭(合同出版記念会)のご案内 *

竹林館では恒例となりましたが、ここ3年間あまりの出版を記念して、ささやかな会を催すことになりました。これもひとえに著者の皆様、読者の皆様、また温かく見守って下さる皆様のご支援の賜物と深く感謝しております。
当日は異分野の交流も兼ねてくつろいで頂き、楽しく出版をお祝いする会にしたいと考えております。皆様、ぜひご参集くださいませ。

★当日は書籍の展示・販売も予定しております★

日時:2010年10月30日(土)午後6時30分 ~ 9時
場所:リッツカールトンホテル大阪 ℡ 06-6343-7000
参加費:8500円
(大変申し訳ございませんが、参加費のご負担をお願いいたします。)

♪ ポルトガルギターによるファドの演奏、歌もあります ♪

   演奏 月本一史・水谷和大氏
      〈エスキーナ・ド・ソン〉
   歌(シャンソン) 井上哲士氏

*間もなくご案内を郵送させていただきますが、お問い合わせがありましたら、
 06-4801-6111(竹林館・左子)までお願い致します。

「燦詩の会アンソロジー」へのお誘い

カテゴリー: TOPICS — chikurinkan @ 4:46 PM

「燦詩の会アンソロジー」へのお誘い

 この度、一九三四年(昭和九年)生まれの皆様にお声をお掛けしております。
 数年前のある会合でたまたま雑談をしておりまして、変転激動の時代を生きてきた者たちが集まり、主義主張、詩論などを離れ、同年代の横断的な詩集を作ってみても面白いのではないかと話題になり、この度お世話をして頂ける出版社もあり、「燦詩の会」と名付け企画してみました。
 私たちの世代は、戦乱激動の時代に巻き込まれ、戦災や学童疎開、海外からの引き揚げなど、またほとんどの人が飢餓を潜り抜け生き残ってきたわけです。語り継ぐべきであろうと信じております。
 諸々の生き様や思いを込めたアンソロジーが出来上がるのではないかと期待しております。
 ただ、このような詩集がそれほど売れるとも思えませんので、実質的に自費出版とならざるを得ず、ご負担をおかけすることになりますが、左記のように企画してみましたので、ご賛同頂き、是非とも大勢の皆様にご参加頂ければと願っております。

発起世話人
小松弘愛 外村文象 なんばみちこ 長津功三良 西岡光秋 毛利真佐樹

 *表題   「現代詩 燦詩の会 詩集」
 *出版内容 A5版 300頁程度(参加者数に寄り若干の変動あり)ソフトカバー。
         発行部数 500部
 *締め切り 2010年 10月末  発行日 2011年 4月1日頃を予定
 *発行所  株式会社 竹林館
 *参加分担金 一人 3万円 10冊進呈 それ以上は2割引きにて販売
 *一人 8頁 内1頁は氏名と30字詰  1頁 18行
  但し、散文詩や、作品数を沢山入れたい方は、字数・2段組等のご相談に応じます。

■お問い合わせ および 原稿送付先■

竹林館
〒530-0044 大阪市北区東天満2-9-4千代田ビル東館401
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112
E-mail:home@chikurinkan.co.jp

2010 年 7 月 24 日

「生きた歴史」を子どもたちに想起させようとする教育

カテゴリー: 書評の窓 — chikurinkan @ 9:57 PM

無名からの視線をもった「歴史記述」
皆川 勤

※2010年7月31日付「図書新聞」より転載

 黒羽清隆 著
 加藤正彦・八耳文之 編
▶『黒羽清隆歴史教育論集
 子どもとともに歴史を学び、歴史をつくる』
 2010/4/20刊 A5判330頁 本体3200円
 竹林館

 「歴史教育」という言葉に、わたしならある種の逡巡する思いを抑えることができない。家永裁判や扶桑社教科書問題に象徴されるように、「歴史教育」の前に、「歴史記述」がイデオロギー論争のようになされる「歴史」とは、そもそもなにかという疑念が、そのことの基層にはある。「歴史」というものが、時間性の堆積したかたちだとして、では、その時間性はどこから放射されたものになるのか。もし、人類の「歴史」というならば、記述化(記録化)された人物や伝聞されてきた人物を中心に語られることが「歴史記述」というものではない。圧倒的多数である無名の人々の生きた証を採集し、記録し、記述して、はじめて「歴史記述」というべきもののはずだ。無名からの放射、それが、「歴史」的時間といっていい。本書は、いわば、そのような無名からの視線をもった「歴史記述」に拘泥しながら、「歴史教育」に渾身のちからを込めた歴史家の単行本未収録論稿集である。
 「歴史を語るように書」き、「その歴史記述に盛り込む例証の史料は、いわゆる一級資料ではなく、庶民の文化や生活の中のだれも気付かないような小さな事象を史料として新鮮さと、時としては意外性をもって、読者の感性に訴えようとされ」(加藤正彦「いまなぜ黒羽清隆か」)た黒羽清隆(1934~1987)という歴史家、あるいは歴史教育者は、和歌森太郎と家永三郎を師として「歴史」教育との関わりを始めたのだが、その履歴を見れば、東京教育大学を卒業後、都区内の中学校教諭を八年間、公立高校の教諭を十五年(その間にNHK通信高校講座「日本史」担当、東京学芸大学、中央大学の非常勤講師を併任)間の経験を経て、79年に静岡大学助教授(81年より教授)となるまで、中高の教諭として二十三年間過ごしたことが分かる。
 「研究史・学説史のひとこまを人間の生きざまの物語として、子どもたちにみせてやらなければいけないということである。(略)こうした手だてを講ずることにより、子どもたちの外部によそよそしい知識として存在するのではなく、子どもたちの内部に、あつい想いとして生きるようになるのである。」(「歴史教育から歴史学へ、ふたたび歴史教育へ」)
 「『子どもとともに、歴史を学び、歴史を作る』というとき、重要なのは、『子ども』そのものの『歴史』を明らかにすることです。同世代体験ですべてを割り切ることはあやういにせよ、やはり、同世代というメジャーまたはスケールではかってみると、歴史的な『時間差』の局相がみえてきやすいのです。」(「子ども史としての十五年戦争」)
 わたし自身の中高時代の歴史教科の教師像を思い出して、黒羽の方法論とのあまりの懸隔に、愕然とする。知識を教え込む(詰め込む)ことは、高校受験、大学受験に対しては合致できても、それは、ほんとうの意味で「歴史」を学ぶ、知ることにはならない。黒羽は、例えば、教科書で「稲作のはじまり」という項目があるとすれば、「稲作のはじまりはどのようにしてわかったのだろうか」として、弥生時代に「農村」があったことを推察した考古学者の苦闘の人生を語ろうとする。それが、「子どもたちの内部に、あつい想いとして生き」てほしいから、「研究史・学説史のひとこまを人間の生きざまの物語として、子どもたちにみせてや」ろうとする、黒羽独特の「生きた歴史教育を考える」ことなのだ。
 本書の巻頭にはふたつの黒羽清隆論が配置されている。そのひとつの鹿野政直「黒羽清隆 『民衆史』と『庶民史』を架橋する」では、黒羽の柳田國男の民俗学、つまり柳田学への強い思い入れに関して力点を置いて論述している。黒羽の歴史学の方法が、柳田國男が切り開いた民俗学的手法に大きな影響を受けているということに感嘆すると同時に、だからこそ、加藤が述べているように、「歴史を語るように書」くということに、それは当然、繋がっていくことだといっていい。そして、黒羽は絶えず、いま(現在)ということを意識下に置いていたからこそ、過去の時間を生き生きと蘇らせて、「生きた歴史」を子どもたち(あるいは読者)に想起させようとしたに違いない。本書の付録として収められている『見つめられてこそ人は生きられる』出版記念講演(83年8月18日)のCD音源を聞いていると、黒羽は含羞の人であると同時に強い信念を貫こうとする意志する人だと感じた。黒羽にとって、まだまだ語りたい、語り足りない庶民の声があったはずだ。この混沌とした、いまだからこそ、わたしたちは、黒羽の意志をなんらかのかたちで、「承けつぐ」(鹿野)べき時ではないだろうか。
                                         (評論家)

2010 年 2 月 1 日

『現代生活語・ロマン詩選2010』のご案内

カテゴリー: TOPICS — chikurinkan @ 1:52 PM

『現代生活語・ロマン詩選2010』のご案内

2010年1月吉日

全国生活語詩の会  代表  有馬 敲

発行所 (株)竹林館
〒530-0044 大阪市北区東天満2-9-4
千代田ビル東館401
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112
E-mail:home@chikurinkan.co.jp

拝啓 新年を迎え、皆様ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
 さて、2008年に企画しました『現代生活語・ロマン詩選』は、皆様のご協力によりたいへん好評を得ました。たんに書籍のなかにとどまることなく、2009年の「日本現代詩人会・西日本ゼミナールin京都」において、肉声による生きたアンソロジーとして発展しました。さらに、山の街企画の永井ますみさんにより各地における朗読会としてDVD化され、全国的な広がりをみせており、現代詩の新しいムーヴメントとして各方面から注目を浴びております。
 その成果を踏まえつつ、また零年代から十年代を迎えるにあたり、当会では㈱竹林館の協力を得て『現代生活語・ロマン詩選』をさらに発展させた形で意を新たに、広く生活語に関心をお持ちの詩人の作品を募り、標記の『現代生活語・ロマン詩選2010』を企画制作させていただくことになりました。
 
生活語は、日常の話しことば、土地のことば、あるいは生の口語を意味しています。現在、日本各地で話されていることばは方言と呼ばれていることもあれば、俗語、若者語、外来語、隠語、職業語、専門語などもあります。さらに共通語に近いが、共通語とは微妙な差異がある口語も使われています。ひと口でいえば、生活語はこれまでの共通語対方言の枠組みを超えた言文一致の詩への切り口となりうることばであると考えられます。
このような趣旨から、現代生活の夢、あこがれ、希望、旅などのロマンを生活語でもって表現される詩作品を募集し、斬新なアンソロジーを世に出したいと願って、下記のとおり企画したしだいです。
趣旨ご賛同の上、ふるってご参加くださいますよう、お待ちいたしております。
                                                     敬具

(1)書名  『現代生活語・ロマン詩選2010』
(2)仕様 ① 四六判(日本国内出版コード付)上製カバー装帯付。
② 原則として2頁で本文合計65行(二段組・題名3行を含む・1行22字)
  詩集4冊進呈。
  既発表可。原稿はA4サイズ厳守。
(3)締切 2010年3月末日
(4)刊行予定 2010年9月1日
(5)申込先 竹林館気付全国生活語詩の会(別紙参加申込書と同時に作品原稿を同封ください。)
(6)参加費 編集委員会で採否決定作品  一人二頁 15,000円
       採否決定後、請求書と振替用紙をお送りさせて頂きますので、
       その後お振り込みください。
       (作品の最終的な諾否は編集委員会にご一任ください。)
(7)全国生活語詩の会編集委員会 
   有馬 敲(編集責任者)小松弘愛 斎藤彰吾 永井ますみ なんば・みちこ 
   原 圭治 原子 修 南 邦和 南浜伊作 及び全国各地域に編集協力者数名 以上

※以下を左クリックして頂きますと、PDFファイルが開き、印刷して頂けます。
 作品原稿に参加申込書を添えてお申し込みください。

『現代生活語・ロマン詩選2010』のご案内

 参加申込書

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