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トピックス

2017年04月01日
☆牛島富美二著『文豪の謎を歩く――詩、短歌、俳句に即して』が出版ニュース2017年4月上旬号で紹介されました。こちらからご覧ください。 ☆中田豊一・和田信明著『ムラの未来・ヒトの未来―化石燃料文明の彼方へ』 ・3月4日付け図書新聞で紹介されました。こちらからご覧ください。 ・「出版ニュース」2月中旬号に紹介されました。こちらからご覧ください。 ・1月19日付岐阜新聞に「化石燃料文明を分析・途上国援助の経験を基に」という見出しで紹介されました。

カテゴリー:ニュース

 

                       ☆出版ニュース2017年4月上旬号より

 

文豪の謎を歩く
詩、短歌、俳句に即して

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牛島富美二著

 

〈旅人よ ゆくてのざらし 知るやいさ 太宰治の俳句は珍しい。それだけに興味がある。一時期、俳句に凝っていたという回想があるが、全集では多くの句は見いだせない〉〈二十代初期に詠んだ掲出句は、自分の人生の終焉方法を予言していたことになろうか〉文豪が手がけた詩、短歌、俳句から作品世界に潜む謎を読み解く試み。島崎藤村、正岡子規、芥川龍之介、永井荷風、石川啄木、夏目漱石、菊池寛、宮本百合子、谷崎潤一郎、宮沢賢治、江戸川乱歩、川端康成、太宰治など30人の文豪の詩、短歌、俳句を紐解くことで、小説では描けなかった心象風景や秘めたる思いが見えてくる。

(四六判/230頁/1400円)

 

             ※出版ニュース社様の御厚意により転載させていただきました。

 

 

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                       ☆2017年3月4日付け図書新聞より

 

「化石燃料文明」という概念を鏡像に、
コミュニティの有様を恢復させる
「思考実験」のように「化石燃料文明という枠組み」からの逸脱、自立を語る

 

久保 隆

 

▶中田豊一・和田信明 著
  『ムラの未来・ヒトの未来 化石燃料文明の彼方へ
   2016.11.1刊 A5判358頁 本体1600円

 

 著者たちは長年、「国際協力という分野で仕事を続けてきた」という。つまり、NGOを立ち上げて開発途上国への援助活動を行ってきたのだが、そのことによって、村(共同体)へ恣意的な変容を強いて来た結果、村が村でなくなっていく、あるいは村という共同体が壊れていくという事態を招来させてしまったことを著者たちは、「介入」といういい方をしながら、苦渋をこめて述べている。
「国際協力とは、相手側の状況への介入である。特に、私たちのように、農漁村、都市のスラムなど、コミュニティ単位で係わることが多い場合、相手が現在置かれている状況を変えるという方向で係わる。(略)私たちは、村に代表されるコミュニティ(共同体)が抱える課題を解決する。解決する主体はコミュニティであり、私たちはそれを支援するという建前になっている。だが実際は、課題の設定もその解決方法も私たちが持ち込むものであり、したがって、文化も生活慣習も、そしてそれぞれ抱える課題も違うはずの世界各地の村で、どこも似たようなプロジェクト、いやまったく同じ内容のプロジェクトを十年一日のごとく行っている。」(和田「序章」)
 著者たちによれば、プロジェクトとは、「貧困削減のための収入プロジェクト」といわれる市場経済の導入を意味する。その結果、「持てる者と持たざる者の境目は曖昧だった」にも拘わらず、「持たざる者」たちは「落伍者として村で暮らすことが難しくなる」と指摘していく。わたしは、途上国援助に関して、もともと好感を持って望見してこなかったが、それでも、著者たちの自省を込めた認識に接して、当然のことだという思いはない。むしろ、開発途上国であれ、先進国であれ、直面している難題はそれほど違いはないということが、言葉のなかに滲み出ていると見做したい。かつて社会主義体制の崩壊によって、資本主義体制は消費資本主義という相貌を身に纏いながら膨張し続け、中間層(大多数のわたしたち)が消費という幻想に酔いしれて豊かな社会をかたちづくったと錯覚してから、やがて坂の上から転げ落ちるように消費社会というものは虚構のなかに埋葬され、圧倒的な少数の「持てる者」と、圧倒的な多数の「持たざる者」に分岐してきた超資本主義となったのが、現在だといっていい。
 そこで著者たちは、「化石燃料文明」という概念を鏡像にして、コミュニティ(共同体)の有様を恢復させる方途を模索していく。わたしたちの現在から、時間を遡って類推していけば、ひとつの初源の類型に思い至ると著者たちは考える。つまり、18世紀から19世紀にかけてイギリスを中心に西欧を席巻していった産業革命に注視して、そこでの資本主義の形成や科学技術の進歩は無尽蔵に思えた化石燃料というエネルギー源に動力の根源があったと捉えていく。
「化石燃料を利用した大量生産、高速大量輸送のシステムが日進月歩で進歩を遂げていく一方で、私たち人間自身は古来より何も変わらない。生身で生きるしかない。そして、生身の体ができることはたかが知れている。私たちの手漕ぎの舟と川自体を流れさせている化石燃料の『物理的』な力の差が、私たちの徒労感と無力感の根底にはある。私たちは、消費の欲望に誘われながら自分の足で歩んでいると思っているが、実際には私たちを動かしているのは、舟底の下を流れる川を動かしている化石燃料の圧倒的な力なのだ。」(中田「第2章 西洋文明でもない近代文明でもない化石燃料文明という枠組み」)
 著者たちは、自分たちが経験し試みてきたことにもとづいて、「思考実験」のように「化石燃料文明という枠組み」からの逸脱、自立を語っていく。決して硬直した発想ではなく、また、イデオロギーから遠く離れて身の丈の考え方で、著者たちは自前の言葉で述べていく。
「私たちが生身の人間である」からこそ、「限りある一度だけの生のなかで自分が生きる道を探るしかない」と、そして「私たちは、個人でどこまででき他人と共にしかできないことは何であるか」(和田「序章」)を考えるべきであると綴っていく。
 かつて本書の共著者・中田豊一は『人間性未来論―原型共同体で築きなおす社会』(竹林館、2007年11月刊)のなかで、次のように鮮鋭に述べていた。
「『市民社会』とは、人と人が助け合い、協同していくための基盤のことを指す。それは原理的には相互扶助に基づく共同体としての機能を持つことになる。現在、日本でますます深刻化する問題の多くが、このような機能の喪失によるものであることを、今私たちは痛感しているはずだ。」
 ここで触れている「市民社会」を拡張、変換させて語るべきだと、わたしならいいたい。都市でもいい、農村でもいい、そうもっと直截にいうならば、ムラという共同体(コミュニティ)として視線を這わせていけば、個と共同性の問題は、ある普遍性をもってせり上がってくるはずなのだ。
「私たちが生活を変えていく、ということは、結局は、土と水に行き着く自然資源をどのように使うか、あらたな仕組みを作っていくかということにほかならない。そのとき、私たちが参照すべきは、やはり村だ。」(和田「終章」)
 かつてのありうべき共同性を、現在時にかたちづくることは難しいとしても、希求していく思いだけは切実なものとして持ち続けていくべきであると、本書は語ってくれているといっていい。
                       (評論家)

 

             ※図書新聞様の御厚意により転載させていただきました。

 

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                       ☆出版ニュース2017年2月中旬号より

ムラの未来・ヒトの未来
化石燃料文明の彼方へ
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中田豊一、和田信明著


本書はNGOムラのミライに属し、途上国の農村や都市のスラムに関わってきた著者らが、化石燃料文明と、これまでの自然を利用する文化とを対比させながら、NGO活動のなかで感じてきた不全感の解消の方途を探すものである。村の近代化がゴミの量を増やしていることや、その多くは化石燃料由来のプラスチックであることに注目。化石燃料をエネルギーとする圧倒的な生産量、スピード、それを「効率」として肯定的に捉えることに対して疑問を投げかけ、今、必要なのは水や土について考え、小規模水利の利用によって雨を、人間を含むすべての生物が利用できるようにすることだと説く。
 

(A5判/360頁/1600円)

             ※出版ニュース社様の御厚意により転載させていただきました。