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190号 此処(ここ)

190号 此処(ここ)

伊藤浩子



にわかに風がそよぎ
碧を映した湖面の鏡は
漣をつないでいる
ふいに伏せられた睫毛の
揺れる草原に
鷸たちが集まる午後
雲が動いて
濃くなった木陰の涼しさと
初夏のまなざしの先
やわらかなときの鼓動が
季節の変わり目を告げた
夕焼けの予兆を
小さく折りたたみ
仕舞い込む
薄い胸元と耳朶の後ろ
乾いた埃を払い
ことばを追い越してゆく
明日へのための
それは
名もない憧憬だった


                         (本人註:タイトルは空白)

榎(えのき)のように   島 秀生



誰よりも太陽を浴びたい
とおもう木がある
誰よりも先に背を伸ばす
同時期の仲間には絶対負けない
森の中でよく それ一本飛び抜けて高いのが
この木であることが多い

その前に「アントニオ」の名はつかないが
むしろ「アントニオ」と口にしてみたほうが
この木の名を一発で覚えられたりする
榎のように背を伸ばしたいと
成長期に思った私だが
願いは叶わずこんにちに至る
いま 私を知らない人も多いが
榎を知らない人も多い
榎は古来 大事な木であった
江戸時代には徳川秀忠が一里塚にこの木を植えることを奨励したとか
しないとか
いやそれは一里塚の松が気に入らなかった織田信長だ
とかいう説もあるが
榎は「縁の木」でもあるとご神木になっているところもあり
大事にされているところがある反面
まったく大事にされていないところもあり
みんなが一番よく知っている榎の木とは
東京競馬場の第3コーナー
「欅(けやき)を曲がって」といつもアナウンスされる木が
実は榎である

出アフリカ記   川本多紀夫



遠方(おちかた)を見つめる
人の憂愁は
直立歩行から始まるらしい

昼おそく 斜めの光をうけて
野の丘にひとり立つ影が長く見える

人はいつから二本の足で
歩くことを覚えたのだろう
 
手を伸べて
木の枝の木の実を取ろうと
立ちあがったとき

ふと 偶然に見えてきた
遠く地平線の向こうへつづく
青いろの風景

それを見て
あるひとりの個体が
不思議な感情をもったのだ
 
いつもは目の先に
ただあるものとしてあった光景が
遥かなものへ
 
  それは異性をおもう気持ちに
  似ていながら何か違って
  それを超えるものであった

哀しみとも
安らぎとも 憧れとも違う
考えることを強いる何かであった

初めての個体から
次の複数の個体へ
その子孫へと受け継がれて 
しだいに大きな群れへ

そのうちのいくたりかは
遥かな方へ
憂いのおもいを
身内に秘めて
彼方をめざして旅にでかけた

  哀しみとも 憧れとも違う
  何かに強いられるように
 
乾燥の地から
大草原と沼と森林地帯を抜けて
山陵の向こうの青い方へ

地質時代の新生代第四紀
はるばると
世代を引き継ぎながら

氷に閉ざされた
海峡を渡って未知の大陸の涯まで
出かけていったという
出アフリカの説がある

鳥は歌い続ける   阪南太郎



片方の羽根をけがして
今は飛べないけど
ぼくには歌がある
ぼく自身を含め
みんなの心をピョンと飛び上がらせるため
歌い続けるぞ

飛ぶことだってあきらめない
この間まで動かなかった羽根が
今日はピクッと動いたもの

はじめて歩いた道で会えた
この花も一度は踏みつぶされたけど
今は元気に咲いている
ぼくもこの花のように
無限に広がる空を見て生きるぞ

わが菩薩   葉陶紅子



凛然と 静寂の中に端坐して
胸に突き出す 懐剣のごと

懐剣を身に添え 生きる君ゆえに
一輪挿しの 橘のごと

楚々と咲き 凛とにほへる橘の
ごときいのちか 君がいのちは

昼空の星 眺めやる君なれば
君が体は 宇宙(コスモス)の蒼

木蓮の甘き残り香 わが胸に
散らして笑むか 君がいのちは

千年のいのちを生きる 君なれば
この世の苦患に われは動じず

南天の朱き実ひとつ 静謐な
朝広がれる 水色の空

100年(ももとせ)老女   葉陶紅子



3歳の幼女のままで 100年の
老女となって ひと日を巡る
 
木に登る 天国近きてっぺんは
刺し刺されずに 寂しめる場所
 
鳥籠が鈴なりになる 木に登り
空なかに彳(た)ち 1人囀る
 
ひとつこと日がな遊べば その夕べ
3歳幼女は 100年老女

100年はひと日のごとし 1日を
100年のごと 思い生きれば
 
重力の軛逃れて 宙を舞う
100年老女 背に生う翅で
 
3歳の幼女の翅で 100年の
老女は泳ぐ 葉緑の中

果実   升田尚世



金柑は
山吹色の太陽のしずく
まろくつややかに
初夏の日ざしに

柿の
透ける葉かげで
生まれたて
薄みどりの実
やわらかく萼(がく)に囲まれて

柚子の木に
低い羽音の花蜂が
地にはドクダミの群れ
白い総苞片(そうほうへん)で装う

今年もまた
季節が巡ってきた
社日山(しゃにちさん)*に面した裏庭の
この静かなにぎわい
果実の予感と
わたしの願いで
満ちている

もうすぐ夏が
そして八月
哀しみから
歓びへ
生きるしるしに
午前の陽を向き
小さく顎を上げるのだ


              *社日山 島根県安来市の桜の名所
                   『安来節』に「社日桜に十神山」とある

風の又三郎   水崎野里子



風は吠える
牙を剥き出して
飢えたケダモノのように
殺意に燃える
血を滾らせ
赤い目玉をギラつかせ

コロナ外出自粛の頃
カサカサの落葉ばかりの
新宿中央公園
風にがたつくテント
たどり着いたは
唐十郎の芝居
風の又三郎

アングラのアングラ
テントをくぐる
観客が何人いたかは
もう 覚えていない
がたがたのテントの中で
テントと一緒に
牙の風に飛ばされないように
ひたすら祈る

芝居の筋は覚えていない
いつもの血糊
若い女の男装
唐らしい
がたがた揺れるテントの支柱
飛ばされるテントよ
唐十郎のアングラ芝居を愛した
俳優さんよ
観客よ

外出自粛のコロナ禍をものともせず
反逆の芝居
帰り血の飛沫の
牙を剥き出す
新宿のだだひろい穴の
空気のなかで
日本の風は
激しい
激しく揺れる
獰猛なケダモノ

わたしの
風の又三郎
わたしは
飛んで行った
翼を広げて
空のテントまで

分離、それとも同化?   佐倉圭史



位置や方向の感覚が麻痺して

空とアスファルトに挟まれた様な感じがしたら

元の感覚に戻す為の方法はふたつ―

「どこまでも遠くへ歩くか、家に帰るか」だ

いや、もうひとつ―

サンドイッチを買って食べるのも良いだろう

冷菓   加藤廣行



世間が空しくなった
だから
アイスクリームを食べた
お口の中は瞬間パラダイス
両さんの言い方まねちゃった
もちろん
ダンテが旅行中だから
検食をサボってるから 平気
ベアトリ姉ちゃんは起きてきやしないよ
夜が明けたからって
何から何まで覚めるわけじゃないよね
主役だって白河夜船の行方不明
ならばこの機に乗じてと
朝靄の彼方の螺旋階段は不埒だね
河岸を変える勢いなんだ
季節がいいから
なんでかわからないけど
上昇が気持ちいい
もう電離層を突き破ってる
もう帰ってこられない
世間は空
まわりじゅう空

釣り   森田好子



俺は大物釣りが好きだ
亀はやたらと重かった
甲板で涙を流している
こいつうまいですよ どうしますか
竜宮城にいけるかも 逃がします
手を振り足を振り海へゆっくり帰っていく

流しをしていたらどてーっと重い
引きがないゴミですかねー
上がってきたのは 大だこ
クーラーボックスから足がはみ出している
居酒屋の大釜で湯がいて食った
みんなで食った 腹いっぱい食った

パヤオ*でのマグロの一本釣り
カジキマグロと本マグロが並行して泳いでいる
キター! カジキだー
二百五十キロ 体長三メートルの大物
角を天に向けハイジャンプ体を揺する
糸を切られるか切れるか
船で追いかけ二時間
船は港へと急ぐ

俺は昔 初めて会った女と食事をした
生けすにはタイやヒラメいろんな魚が泳いでいる
その女はエビをうまそうに食べた
海老で鯛を釣ったことが人生最大の釣りだ
今も一緒に暮らしている
大物は予期せぬ時にやって来る
タイを食べたらタイだけに対等だったのにだと


               *パヤオ 人口の漁礁

たんぽぽがすき   森田好子



並み木の桜よりも
バラの花よりも
足元に咲く
たんぽぽがすき

たんぽぽ みつけてうたいます
 たんぽぽ たんぽぽ
 ぽぽぽぽぽー
 たんぽぽ たんぽぽ
 ぽぽぽぽぽー

わたげ みつけてうたいます
 わたげ わたげ
 ふふ ふふふー
 わたげ わたげ
 ふふ ふふふー

たんぽぽみにいこう
みんなでいこう
いっしょにいこう
すぐにくつをはく

たんぽぽ   森田好子



香りいっぱいのバラ園
二才になったいっちゃん
よちよち歩きの女の子を見つけた
どこへいくの

バラの根元のたんぽぽ手に持って
どうぞ
女の子に手渡した
きゃー すてき
初めてもらったお花がたんぽぽね
ありがとう
しかもイケメンさんから

イタリアに住んでいるんですよ
いっちゃんのママが言う
えーっ さすが二才の紳士
女性に花をプレゼントするなんて
お母さんたちが大盛り上がりしている

わたしがいるところ   関 中子



おとといは雪
今日は明るい雨だ
雪の天布が何百枚か
滑り落ちてしまったあとに
流れそこない薄くなった天布が
風情ありげに
破れ破れを
美しげに
白い雨と名のって
かっこよく降りてくる
長靴履いて泥道を草雪へ逃げ
地球って名付けた喜びに踏みこむ
わたしをどう感じているのか
わたしのところへ
かっこ極めて降りてくる
ここはかっこつけやすいらしい
空からくるものには

<PHOTO POEM>今日も道路で咲く   中島省吾



今日も道路に

綺麗な花が咲いている

淋しがり屋の

あいこにも

観せてやりたかった

この力強さを

偉大さを

努力のむくわれる姿を

<PHOTO POEM>あの人の隣   長谷部圭子



やさしい海
咆哮する海
怒りに任せた波風
やがて辿り着く凪

そんな 海と 生きていくと きめた
そんな 海だから 隣にいると きめた

子供らは   牛田丑之助



ひろば 子供らは
みんな歌っている
しらないことばだ
女の子が歌いながら
わらいかけてくれるので
ぼくもあいまいにわらってみる
まわりの子供らは
歌いながらポケットに手をいれ
カラフルなキャンディー
遺伝子を固めたようなものや
椎の実を割ったようなものを
あいての手のひらに載せる
ぼくも自分のポケットに手をいれたら
キャンディーが入っていたので
おなじようにした
井上君がこれが流行っているのさといって
キオスクの店先にぶらさがった帽子を買った
ぼくもその飛行帽の耳当てが気に入って
買おうとしてももう売り切れで
代わりにミッキーの耳が並んでいた
井上君がもうひとつ教えてくれたのは
ホームにはしんだ軍人を悼む詞が刻まれていて
列車の窓を開ければ
扇風機に話しかけるように
歌が聞こえるらしい

野あざみのように   平野鈴子



過ぎ去った遠い日
バイクに乗るペアの姿に羨望のおもいで目で追った日
 新しくオープンしたスーパーまで乗る?
突然おとずれた娘からの誘い
臆する私は拒みもせずにヘルメットをかぶりバイクに跨(またが)った
風をきるスピードの初試乗

高校生で保健室登校となり
膝をかかえ壁をむき家庭教師の女子大生を困らせた
私の証明写真に×をつけられとがった心の一撃も食らった
自分の人生だから好きに生きたい
あてにしないでほしい
頼らないでほしい
こんな言葉にどれほど涙を流しただろう
ひとり奔走し相談所をみつけ親子で毎週カウンセリングもうけた
不安とあせりに押しつぶされそうになり二人でもがき苦しんだ日々

好きな乗馬にのめりこみ
北海道・長野で研鑽をつみイギリスの乗馬学校に留学し世界中から集まる人との
 交流も学んだ
障害者の人達に乗馬の楽しさを教え
俳優・役者にも指導し馬三昧の娘時代を過ごした
今は小学三年生の母親になっている
これからは息子との試練があるだろう
私が悲しんだ道のりになるのか
あなたの方向指示器が難題をどうさばいていくのか
人生の通過点に過ぎないが……
乗せてもらった相手には多少の不足があるものの
喜寿をすぎた我が身には飛蚊症まで飛んでいる

こだまのようによみがえり
娘が少し大きく見えた
風に舞い
着地し
花ひらき
タイルのすきまからも
空家のもみじの根元にも
紅紫色から淡色に心変わりをし
気のむくまま
風に運ばれる野あざみのように
そして一途な そして真っすぐな
コントレイル*のような生きかたもありなのか


         *コントレイル 飛行機雲

春は萌えたり   平野鈴子



春になると心が浮きたち落ちつかぬ日々
もう試し掘りをしたのか気にかかる
赤土を耕し施肥をし手入れをしてきた竹林
地面のひび割れを目ざとく見つけ
白子(しろこ)の筍の姿を探しだす
むっくりと地表に躍りでた筍に春をかみしめる
筍を味わうための下準備に目配り気配りし
筍ご飯・木ノ芽和え・若竹煮・筍ずし
季節を頂戴する喜びと幸せ
幼子は竹の皮に梅干を三角に包み吸いつき
皮を赤に染めて楽しんだ
孟宗竹の次は淡竹(はちく)・真竹(まだけ)の出番
みちのくでは熊に怯えながら採る根曲り竹も出回る
下野(しもつけ)*では蚕時雨(さんしぐれ)*をもう耳にしていることだろう
急な坂道を下ると「ちがや」が春風に美しくなびいてきた
行く春を惜しんでいるようだった


               *下野  栃木県のこと
               *蚕時雨 カイコが桑の葉を食べる音

わっしゃ   中島省吾



わっしゃ

世の中困りきっている

コロナ

ウクライナ

わっしゃ

わっしゃ

俺も

日本のお巡りさんも

どうもできない

時の番人は鎮めることをしなさい

新しい 明日   加納由将



もう疲れた
何を みんなは 求めているのか
分からないまま 
また 明日が来て
とてつもない 宿題が
どこからか 突きつけられ
体を 震わせながら
コツコツと こなしていく
誰も その量の多さに
気づかない
こんなに 疲れたというのに
波は 変わらず 同じ 運動を 繰り返し
時間を 止めている

影に   加納由将



呼吸が 苦しくて 目を覚ますと 体の上に 影が 覆い被さる
正体も わからずに 払いのけようとするが
手は素通りし 影は どこにも いかず どんどん 体内に 触覚を 入れてきて
肺を 締め付ける
逃げ場も なくて 朝は まだ 遠く 窓は まぶたを 閉じたまま 何も 写さず
沈黙を 保っている

狐の嫁入り   吉田定一



空は晴れているのに
雨がぱらついている

雨が降っているのに
日が照っている

なんだかおかしな 今日の天候だ
「天気雨」 「日照り雨」

男と別れた姉の心模様のようだ
晴れたり 曇ったり

雨がぱらついたり 
化かし化かされてしょげている

今日のお天気も 化かされっぱなし
嘘のつかれっぱなし

だが「狐の嫁入り」ともいう
ああ 噓から出た真(まこと)!?か 夢幻(ゆめまぼろし)か

青空高く 虹橋を
渡り通っていく 花嫁がいる

――姉さん!
   幸せになって下さい

肺がおぼれる   𠮷田享子



それは突然やってきた
呼吸ができない
肺に何かがたまっていって
息を入れるスペースがない
酸欠の金魚のように
口をパクパク浅く吸う
花粉のせいだと侮っていた

病院に着くまでに息が止まれば
ご主人に連絡を入れるので
電話のそばにいてもらってください
救急受付の声

過呼吸がおっかぶさってくる
いよいよダメかと観念した
人はこうして死んでいくんだなと
思ったとたん意識を失った
救急車が出発したのも
処置室で何が行われていたのかも
記憶にない
気づけば呼吸が楽になっていた
生かせていただいたのだ
ふつうに息ができる有難さ
感謝しかない

五月八日   下前幸一



五月八日
雨の朝

心電図モニターの
電子的な刻み

点滴のしたたりが
昏睡の獣道に滲む

降り続く雨の
半透明の遮蔽

五月八日、午前五時
私は雨に拘束されている

濡れた植栽
途絶えた轍

明け方の濁り水

ウクライナ
五月七日、午後十一時
黒色の沃野

廃屋の戦慄
境界のない疼きに

ヒロキさんが死んだ
七百万分の一の死を

私は記憶を切り捨てるのか
記憶が私を去っていくのか

香港
五月八日、午前四時
屋台街の音のない響き

スーダン
五月七日、午後十時
静寂を破る銃撃

墜落するハト

サンパウロ
五月七日、午後五時
雨の地球生命体

パンデミックの跡形
濡れ落ちたマスク

大浦湾
五月八日、午前五時
薄日が滞留する沖

光ざわめく
遠近法の迷路

立ち尽くす
五月の朝

留守です   来羅ゆら



五億年経ったら帰ってくる
と言ったおとこが
五億年の足音を引きずり
ただいまと帰ってきた
おんなは夕飯の宅配弁当を食べていて
おとこの食べ物がないと腰を浮かしかけて
でん、と据わりなおした

おんなはおとこを見つめ
静かに言った
 ――留守です
 ――るす、です



       るす

      留守と言へ
      ここには誰も居らぬと言へ
      五億年経ったら帰って来る

              高橋新吉の詩集 所収

一幕一場 ―姉と弟―   来羅ゆら



ニヤッと笑って敷きっぱなしの布団の上で胡坐をかく。
そろそろアネキの来る頃と思っていたといいながら。
持ち出したものがもうないことはわかっている。
怒りをぶつけるために来たけれど言葉が見つからない。
あんたなぁ、あんたなぁ、とそこから先が出てこない。
しでかす弟は毎回新手をくりだしてくるというのに。
姉のせりふはあんたなぁと力なく吠えるだけ。
なにをどう投げつければ弟にとどくのかわからない。
飛び込んだ時の怒りは諦め気分に取って代わられる。
言い訳と謝罪が始まる。
親代わりにめんどうを見てくれたアネキをだますつもりなんかない。
真剣なまなざしに、信じてもいない言葉に引きずられてゆく。
なんど騙されても、また繰り返す。
弟とどう付き合えばいいのかわからない。
ふと力が抜けて、疲れが覆いかぶさってくる。
なにもかもどうでもいいような気分になってくる。

窓のない部屋にさす光。
弟の周りに薄い下着が散らばっている、淡いピンクに赤、みどり、紫。
頭上の丸い洗濯ハンガーにもひらひらした青、赤、オレンジが虹のように。

――パンツがいっぱいや
腑抜けた声で姉がつぶやく。
――パンツとちがう、パンティ
女よけや。
あいつにとってはアネキも女。
女が来るときはおれの頭の上にパンティぶら下げて  出ていきよる。
頭の上に薄い虹をひらひらさせて借金まみれで胡坐をかいて
弟が笑う。

剝き出しで懸命な心が
けばけばしく頭上から見下ろしているのを
呆けた姉と、地獄の入り口にすわった弟が、口をあけて眺めている。

いろはざれ歌   門林岩雄



父の夢を見た
父の齢を超えた
卒寿の朝に

  *

志したこと
何も出来ず
ダメ岩だ おれは

  *

所変われば品変わる
ブータンには
赤いシャクナゲも

花よ   左子真由美



花よ
おまえは土のなかの
小さな種であったのに
いつのまにか
暗闇から
はみ出してしまう
外へ 外へ
ひかりへ ひかりへと
あふれてしまう

花よ
おまえは
億年もの言わぬ
地球のことば