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162号 うた・歌・唄

162号 うた・歌・唄

新聞の街   荒川洋治



ある特別な療養施設をめぐっての
映画や裁判などが各地で報道され
以前からそれを詩歌にしてきた太一郎は
ブームのために書いているように思われる
こともあるかと思い
ひとりでお茶でものみたくなった
二本目の綱は気性をもち
いつ叫びだすかわからない
ふとしたときに
うしろに廻る赤い花束のように
会場という会場は
人を嫌わせてしまうのだ
報道などなければいいのにと思う太一郎は
それでも新聞をよむのが日課で
新聞のなかの絵の部分をきりぬき
それを下絵に絵手紙をかく
九十四歳の母とともに
新聞という紙を奪い合う日もあるのだ
昔 かつての明治に
よみうりというものがあった
少年はあいまに帽子をただし
街灯の下で
いまは亡き父親の記事を
手にする
山に入って虎にあうなんてと思いながら
新聞は平たい紙であり
奪われたものを包んでいく

sakura   河津聖恵



花の下でからだはほの白く弛緩する
枝が頭上で揺れるたび
まなざしの糸はゆらりとほどかれ
また編まれてはほどかれる
とざされたまなざしは繭のように
何かを告げようとするこころを包む
私は一輪の花よりちいさくなる
美しい、ではない
万朶に点じられた小さな赤い花心は、こわい
梅ならば長い蕊でまなざしにからんできたのに
この赤らんだ目ならぬ目は
花のものでもひとのものでもない
あの大きなわざわいの春に
ずっしりと見つめていたもの
見つめられていたものは
今もなお深く空無なのか
それとももうあふれ 私たちをみたしているか

誰もが知っていた
年々遠のくように花の白さが増していたのを
あの春の裂け目はついに純白をさらしただけだ、と
私も私の純白にさらされた
梢でかすかに光った
人知れず崩壊するそれぞれの危機
地に立つ者のくちびるはふるえはじめた

いま近づくようにふたたび滲みだす薄紅の気配は
はじまりか終わりか
記憶か忘却か
あの一輪を見定めようとすれば消え
消えたと思えばこの一輪が光る
花々の有機交流電灯に
ほの白く照らしだされるからだ
からだにほの白く包まれるこころ
風をはらむ花々は複眼ですべてを映しだし
(私は一輪の花よりちいさくなる)
無数の赤い隻眼が世界を未来の荒れ地にして
風が静まれば
地上でいっせいに呼応し構えられるレンズ

泣くことを知らない
青空を背にかがやく金属質の、sakura

紙魚(しみ)   はたちよしこ



本は
静かです

じっと はさまれていると
じぶんでも
いるのかどうかわからなくなります

句読点がすきです
わたしに
似ているようで・・・

ここは
なんページでしょうか

さびしさの角度   はたちよしこ



月が
分度器のかたちをしている
わたしは
すこし 首をかたむける
―― いま 測ってくれた?

風の中のある日   はたちよしこ



 夏

野原は びっくりばこ。バッタがとびだした!

 急坂

空へ 道がはみだしていく

 噴水

中に明るい部屋をみつけた

 夜の台所

卵焼き器は 月の光を焼いていた

ミノムシ   はたちよしこ



枝にぶらさがっていると
風がゆらしにきます
ゆらしたままいってしまうので、
じぶんで止まらなければなりません
じぶんを止めるってむずかしい
すこしゆれていたいのがわたしです

栞   山本なおこ



とある本のページに挟まって
案内する 栞

ここまで読みましたね
続きは 次のページからですよ

と 内気な女の子みたいに
呟いている

そう言えば ふと栞という名前の
可愛らしい女の子がいたな

あの子は今 若い
お母さんになっていることだろう

そして童話を読み聞かせながら
続きはまた明日 読みましょうねと

今日と明日の間にそっと栞を挟んで
わが子を寝かせているのかも……

デイゴの花が咲いていた   下前幸一



デイゴの花が咲いていた
薄靄にかすみ
闇に溶けいる記憶の岸に
近江紡績の夕暮れに
デイゴの花が咲いていた

白く煙った野の原に
無惨な姿があったのです
ソテツと言えば地獄
車椅子の背に立ちつくし
幻のデイゴを見たのです

自分の母親は一五で出てきて、紡績で働き
辛くて逃げ出します
大阪のオカジマへ
そこに身よりはなかったけれど
オカジマは大阪の沖縄だったのです

亡くなる前、十年ほど寝たきりになりました
車椅子で散歩をするのですが
沖縄へ帰りたい
デイゴを見たいと言うのです
ソテツを、おいしかったと言うのです

沖縄で生まれ育った
母親の心の中には
デイゴがいっぱい咲いていた

私は金城(きんじょう)ではありません
沖縄語では(かなぐすく)
ある人はそれが岩城(いわき)になり(いわしろ)になり
比嘉さんは日吉(ひよし)さんに名前を変えたのです
好きで変えたのではありません

朝鮮人、沖縄人おことわりの
厳しい差別があったのです
仕事もなく
アパートも見つけられずに
オカジマの同胞に身を寄せたのです

戦後はクブングァー
窪んだ湿地帯の沖縄スラム
不良住宅地域の
養豚と
バラックと 三線

その日僕らは大阪大正区の
千島公園にいて
金城馨さんの話を聞いていた
大阪の中の沖縄の
埋もれた歴史を手探って

四○年前のエイサー祭りに
「恥さらし!」と
罵倒の石が飛んできたという
先輩たちの怒りに反発し
沖縄の誇りを失ってしまったのかと

沖縄の青年たちは
エイサーを続けたのだ
沖縄であることを隠すのではなく
誇りをもって
この地で生きるために

集団就職の若者たちは
厳しい経験をしたのです
大阪弁が分からない
習慣や常識が違う
沖縄だというだけでバカにされ

誇りのために死を選び

正しさは暴力を隠しています
強い正しさが強いる同化に
弱い正しさは迎合します
連帯とか同じという言葉の中に
暴力と差別が隠れているのです

日は傾いて
大正区平尾の街の一角に
「石敢當(いしがんとう)」
僕らは石の願いに立ち止まる
ここに沖縄がひっそりと

しっかりと
直筆の歴史をたどりたい

方言札の時代の中学校や
湿った壕の集団自決
銃剣とブルドーザーのアメリカ世
嘘八百の日の丸に
デイゴの花は咲いていた

いたぶられ
横たえられた少女のかたわらに
轢き殺された者たちや
窒息した赤子のために
踏みにじられた面影に

感情を殺しても
忘れてもなお甦る
言葉にはできない
おびただしい沈黙のかたわらに

僕らは幻のデイゴを見たのです




        (金城馨さんが主宰する関西沖縄文庫は、四人に一人が沖縄にルーツを
         もつと言われる大阪市大正区において、四〇年前からエイサー祭りを
         続けてきた。書籍や映像などの収集、貸し出しの他に、沖縄をめぐる
         さまざまな活動の拠点でもあり、文化的な活動の場でもある)

春が 来る   藤谷恵一郎



石を落としても
もの音ひとつ返らない深い闇のなかで
忘れられてゆく魂が 石化し
やがて砂と毀(こぼ)たれる

そんな悲しい死者も
梅の莟に 木蓮の莟に 桜の花びらに
野や路傍の草花に
赤が燃えるサツキに
還ってくるのだろうか

見えない翼が飛び交う
春が来る
死者たちが光のなかへ蘇生してくる
春が来る

死者が忘却のうちに新しい生へ甦(よみがえ)るならば
生者よ!
生者は死者の思いと祈りを
抱きとめていなければならない
その歩みに

少年   藤谷恵一郎



悲しみはないのが
いちばんいい

悲しみがあっても
気づかないのが
つぎにいい

けれど
両腕を翼にし
野を走る少年の体じゅうを
母をなくした悲しみが
風より疾(はや)く 駆けめぐる

とんど   加納由将



裏庭で
ごみを燃やす
ダイオキシンなんて
関係ないころ

冬は火のそばで
じっと
燃えていく
消えていくのを
見ていた

横で従兄が
燃えカスを
かき回していた

急に
風が吹いて
灰が舞いあがり
アクリルの
ズボンの上に落ち
黙ってみていた
みるみる
とけていく
あわてて
従兄に言うと
真剣な顔で払った
顔を見合わせ大笑い

花びらの季節   水崎野里子



地に落ちた
桜の花びら
一枚 一枚 拾う
針を通す

糸でくくる
雪のように
風に舞った
花びらの記憶

少女は何も言わない
ひたすら糸でくくる
花びらを連ねる

生と死の間で 束の間
少女の胸を飾る 連珠
少女の頬は紅く火照る

指の魔法   水崎野里子



木ってのは たしかに
地中から延び出た手・指
拡がる 閉じる
ぐんにゃり ぴたんこ
ぐるぐる ぴょん ぴょい
すいすい すんなり
一本指もある
瘤 捻れ 曲がりもある

あたし ハリー・ポッターの
小母さんよ!
それ 木の子供たち!
カムカム ゴーゴー
魔法よ 空に!
ジャックの豆の木
ずんずん伸びる
空まで届く
お城を建てよう
そこで植えよう
さかさまの木
アブラカタブラ
小指サーカス

名前   ハラキン



川の向こうは
川向こう
人は川をわたるたびに
異郷に投げ込まれ
名前を変える

工場の廃液や
犯罪の血が流れる
運河というものを
原風景に抱える俺は
ヒトシと名のった

  モノトーン
  ドス黒い流れ
  水上生活者の舟
   

或る組織にもぐりこみ
なにかの咎で殴られ
血を垂らしながら
次の川をわたって逃げた

  どしゃ降りの橋
  負け犬のように急ぐ俺

以来
ヒドシ フトシ キンゾウ キン…
わたるたびに名前を変え
二十七人もの男を生きてきた

「人は名に囚われ 名に迷い
愚かな物語をでっちあげる」

開き直ったあげくの
ハルジオンという
雑草の名を最後に
名前を捨てた
今も廃墟のように流れる
名もなき運河に
俺の原風景に

無題   ハラキン



世界は
無題である
無題でない
無題であり同時に無題でない
無題でもなく無題でなくもない

無題という店がはじまり
有名になり
ついにはまぎれもなく
無題という題が
確立した

「恋をしよう」
という書を
無題と提示できるだろうか

ハラキンの作品に
『無題(昆虫たちの捕食術)』
がある

『闇』という映画の
闇のシーンなのに
俳優たちの顔や手が
仄かに見える
A即非A


という思いも起こらないし
題でない題
という思いも起こらない
さらにまた
思うということも
思わないということも
起こらない
これこそ
無題

身体性   ハラキン



「着てはもらえぬ」
小ぶしのきいた
女心が流れてきたので
左手で音をつかまえ
右手で壁面にひきのばし
左官のように
俗を防いだ
「北へ帰ります」
小ぶしは
港町で盛んに唸る
流しを肴に
猫背で飲む定型に
街宣車で突っ込んだ
「仏を拝もう」
小銭を投げて
観音を拝む類型
ばかりなので
賽銭箱を
一斉に掻き消した
「ずっと一緒にいたい」
恋が日常に堕したので
恋人たちに
石膏を流し込んで
日常を固めてやった
「やめたやめた」
葬式につぐ葬式をやめ
闇に帰り
闇に眼を見開いて
僧形を磨いた
「ぶっこわす」
俺と俺の影を
九十度ひっくり返し
主客をぶっこわしたら
バック転のような
境地になって

世界は
更地をはじめた

ぼく=粒子(マチエール)   葉陶紅子



千切るのをやめたら 背なに翼生え
千の顔して 宇宙(コスモス)を舞う

皮膚剥げば 外と内とは交じり合い
粒子となって 透明人間

全臓器摘出後には 宇宙(コスモス)の
森/雲/海を 移植されたし

もう放浪はいい 粒子と欠ければ
どこにも飛べる 家はいらない

虫や石 火山/雷(いかずち)/波の眼に
変じる粒子 ぼくのいのちよ

傷口ゆ夜は沁み入り ぼくは出る
ぼくてふかたち 繋ぎ止むもの

遠くから ぼくの中へとやって来て
ぼくを維持する 粒子を想う

四季 あるいは欠落のかたち   葉陶紅子



ながかたちはだけ砕かれ 花びらは
散ると知り初む そを春という

胸郭に乱れ飛ぶ渦 かきあつめ
空に積みあぐ そを夏という

欠落のかたちに繁る 沈黙の
金の粒だち そを秋という

欠落のかたちこそ汝(なれ) 透かし見る
向こうはるかに 昼空の星

一面をま白くうめる 目なざしの
静やかな笑み そを冬という

白き闇切り裂き生いる 粒だちは
なが胎内に 眸(め)閉じ憩える

欠落のかたち染めれば 四季の色
四つ子のごとく 彩なす螺旋

あなた   神田好能



あなた
あなたは私の宝
そう あなたが私の名をよぶと
そう 私ははっとして
現実に目がさめるのです
あなたのよぶ声は
私の生をよぶのです
忘れていた昨日が
その声でよびもどされて
楽しかった昨日を
つづけてくれるのですよ

筋肉トレーニングを続けています   清沢桂太郎



 「膝の軟骨が減っていますな
  お年です」
整形外科医はレントゲン写真を見て
当然だという調子で言った

正座が出来なくなり
当然坐禅もできなくなった

坐禅はある期間続けていたら
 「もう十分か十五分過ぎたかな」
という思いで時計を見ると
実際には五十分とか一時間が過ぎていることに
気がつくほどになった

若いころは坐禅をしながら
臨終を迎えるのを
理想とした

ところが
年を取ってみたらその坐禅ができない

古希を一年過ぎて
筋肉トレーニング中に狭心症を発症し
カテーテルによる手術で心臓の冠動脈に
ステントを二個挿入した

駅の階段を上ると
息苦しさに 心臓に不安を感じた

心臓に不安を感じると
死の不安が襲ってきた

それから 約一年
このまま何もしないのであれば
ただ死を待つだけだと思い
発症前に続けていた筋肉トレーニングを
再開する決意をした

当然 筋肉トレーニングを始めると
息苦しさが襲ってきて
心臓に不安を感じ 死を予想した

循環器内科医は一人だけが
筋肉トレーニングを「よい」と言ったが
他の医師は言葉をあいまいにした

私は 筋肉トレーニングを続ければ
息苦しさと死の不安から
解放されるかどうか全く分からなかった

しかし 何かに促されるかのように
筋肉トレーニングを続けた

ある時には
踏み台を上り下りしながら
南無阿弥陀佛と唱えてみたり

ある時には
至道無難禅師の言葉

 生きながら死人となりてなり果てて
  思ひのままにするわざぞよき
 道といふ言葉に迷ふことなかれ
  朝夕己がなすわざとしれ

を自分に言い聞かせながら

それから一年半
筋肉トレーニングをしても 駅の階段を上っても
息苦しさが和らいでいることに気がついた

死を強く意識しないようになっていることに
気がついた

筋肉トレーニングを再開して
間もなく二年になる

今も不安と安心の中で
筋肉トレーニングをしています

シエスタ・タイム   蔭山辰子



怪我をしてから
午後に体を休めるようにと
担当医師からの指示
これ幸いと昼寝をするようになった
本来昼寝の習慣はなく
遠い昔 子供を育てていた時
一緒にうとうとしたのが関の山
眠るとまではいかなく 体を横たえると
かえって あれやこれやと気になること多い
それでも目を瞑っていると
いろいろな音が聞こえてくる

風によって伝わってくる電車の音
遠くの救急車のサイレン
小学校の鼓笛隊
角の家の幼児のバイエル
あそこの垣根の凌霄花は蔓を延ばしたかナ
いつしか うとうと と

突然の受信音
はっと起きて
 シエスタ・タイム おしまい

〈シリーズ・手〉黒い涙   原 和子



地球は血を流している
時に 警告のような怒りに震え
神のてのひらの上で
血を流しながら
回っている
汚染されていく大気
空は その青さを恥じ

吹き荒れた殺戮の嵐の
過ぎ去ったあと
硝煙の立ちのぼる 血に染まる廃墟
崩れ落ちた 聖者のようなビルの目から
黒い涙が
とめどなく溢れている

山百合   根本昌幸



―わたし今日、決めました。
あなたと生きてゆきます。

そのひとはそう言いました。
遠くの方を見つめながら
ぼくの方は見ないで。
断崖には山百合の花が
たくさん咲いていました。

その花をぼくが手折ろうとしたとき
その花は嫌いです
と 言いました。
たしかに匂いの強い花でした。

その断崖は なぜか
馬の背と呼ばれていました。
遠くから見ると
馬の背中のように
見えたからでしょう。

遠い日のことです。
そのひともいません。
馬の背もありません。
なにもかもありません。
思い出になるものは。

ただ そのひとの言葉だけが
ぼくの中に今でも生き続けています。

あの海   牛島富美二



私の知っている海
鯨・海馬(せいうち)・甚兵衛鮫・若布・浜茄子・珊瑚礁・・・
でもあの時何を呑んだの
松・杉・桧・森・田畑・社・寺・馬・牛・車・ひとひとひとひと人の群れ・・・
何をさらったの
喜び・怒り・悲しみ・笑い・神も仏も天も地も・・・
何を吐き出したの
怒り・悲しみ・青息・吐息
呻き・絶望・叫喚地獄・・・
呑み過ぎさらい過ぎたからといって
そんなもの吐き出さないでおくれ
この星のあらかたを占めているくせに
この星をまるごと呑みくだしているくせに
わずか百年の足跡を
消し去らないでおくれ

私の知っている海は
鯨・海馬・甚兵衛鮫・若布・浜茄子・珊瑚礁・・・
それなのに海の吐き出した青息吐息で
それでも今象が力を絞れるものは
果てしない草原に遊ぶ童たちの夢
生き残った馬の吐き出せるものはやはり
碧空を背にした大人の望み
かろうじて人の吐き出せるものは
敢無(はかな)い詩歌句の呻き・・・

私の知るかぎり
あれまでの海は
鯨・海馬・甚兵衛鮫・若布・浜茄子・珊瑚礁・・・

来年も・・・   晴  静



風 サァー ひと吹き
実りのもみ粒
サラ サラ コロ コロ
スズメ追いかけ
チュン チュン チュン
ひと粒 ひと粒
おいしそうに

風 サァー ひと吹き
鳴き声聞こえず
姿も見えず
サラ サラ コロ コロ
転がるもみ粒
もう見当たらず
ひと粒も

湯気 フワァー
ふっくら炊き立て新米
もう見当たらず
ひと粒も
今年もおいしく
いただけた
・・来年も・・・

樹齢500年の樹   高丸もと子



羽が生えるはず
リンゴも赤くなるはず
そして私の胸は
もっと多くのもので満たせるはず

あこがれはいつも垂直に向かって
大地を抱き
空に抱かれ
なお抱きしめ合えないものに気づき

木は木であることの
孤独と
哀しみを受け入れ
樹になっていくのでしょう

日々私の何という不遜な願いの数々よ
それらは
木漏れ日に散らされ
まるごと流れされていく心地よさに

私は初めて
大樹を仰ぐ

嵐の夜   高丸もと子



容赦しない暴風雨
悲鳴をあげる
唸り狂う
倒される

抗うことを止めた木は
やがてひとつの決心
空のてっぺんに向かって
円を描き始める
大きな円は
まるで降参の合図

自分を空っぽに
まるく
まるく
ひたすら まるく
抗うより力がいる

嵐の夜が明ける   高丸もと子



音のない音楽で
幕があくと
空の真ん中から
小鳥が飛び出してくる

梢は空を磨きはじめ
散らかった滴は
キラリ~ンと
始まりの合図を送る

木の葉のゆれと
曲のゆれがぴったり
最小公倍数になるこの瞬間

そうだ この瞬間
億年からここに降り立ったのも

涙の抜け殻の女の子   中島(あたるしま)省吾



自分はすべてあきらめているから安心してください
今日、新宗教の墓のパンフレット届きました
お地蔵さんになりたい、風になりたい
天国じゃなくても、楽園じゃなくても
この世界地上世界は天国じゃない、楽園じゃない
でも私が消える前に失敗の教訓の智恵を
大切な誰かどこかの誰か知らないファミリーの人に言いたい
光というのは影にいたら当たらないのが当たり前
光の場所があるならば
光の当たる場所に行くこと
うまくいかないなら
勇気を出して
当たって砕けろ
そこが光の場所ならば
光栄だろう
これからはキミわキヲツケタマヘ


この前、家に泊まったり
いつも、家に来たり
しょうちゃんしかおれへんのや、と
あんたしかおれへんのや、と
二〇一四年のバレンタインの夜は彼女の家に泊まって
朝まで語り合って彼女の部屋で
朝まで同じ布団でずっとちゅうちゅうしていた女の子のきょうちゃんが
いつも病院でコンビでうろうろする同世代の女の子が
社会がおかしいから人間がおかしなってると言う
わたしの考えとピッタリ合う女の子が
病院のパートナー、同志が、女の子が
わたしがキリスト教会追い出されて
頭がおかしくなった時も
創価学会やっていたため、あんたあほやなと
気持ち悪がらず
食事に行ったりブックオフで出会った瞬間に店員さん無視でちゅうちゅうしていた
 女の子が
最後病院に病気でたぶん支離滅裂にストーカーだとか悪口いうと
なんも知らん病院に離された女の子が
自殺しました
飛び降りました
わたしは抜け殻の男の子
結婚してとかも言わないが
あんたしかおれへんのや
と言われても行動起こさなかった
子供みたいなわたしが
何も行動起こさなかった
ミナサンコウドウオコシタマヘ
わたしが世界で一番大好きだった女の子が闘病をやめて
世界一の女の子が自殺しました
わたしは抜け殻
どうしようもない老後が始まりました
わたしの人生左に誰もなし、もぬけのから
おだいりさまの抜け殻の涙
本当にあった哀しいオラがシャレにならない涙の詩

わたしとちゅうちゅうするのがうれしいと
わたしは良い行いをできましたか?
彼女の部屋で良く言うことで頭はパーで顔だけ
唇綺麗やなあ、そうかなあ? が活かせて良い行いできましたか?
そのままあなたの見えないおっさんになります
彼女はわたしが中性だとおちょくられていると
ジャニーズジュニアとか主演女優のキョンキョンみたいだと
護ってくれました
二〇一六年初頭、本当にあった涙の詩
抜け殻のわたしは明日旅に出ます
まだ生きて旅に出ます
それもスタートです
彼女は生まれ変わりました
うまくいかない人の感情
病気の人の感情
弱者の代弁の詩をしぶとく伝え書き続けるスタートです

iPS細胞   田島廣子



山中教授 ノーベル賞受賞
世界中から 喜びの拍手が鳴り響いた
先生が若いころ大阪医療センターで
癌の患者さんを受け持たれた
 これが研究につながった
 動機です
と テレビで話された

一緒に働いていた整形外科病棟
手術後包帯交換について行こうとすると
 婦長さんついて来ないで下さい
包交車を押して行かれよく話をされた
知らんふりして見ていた
キリリとされ優しく楽しい先生だった

iPS細胞は
I型糖尿病のひとも
インシュリン注射を打たなくても
いいようになり世の中楽しくなる
星の数ほどのひとが
この研究を 生きて待っている
いろいろな臓器が再びよみがえる
先日テレビで動物に再生された耳をみた
五年後には実用化できるだろうという
昨日は網膜移植が世界で初めて成功と報道された

I型糖尿病のひとも元気な赤ちゃんを
前に抱っこして 後に自転車に乗せて
夢のような幸せが山中先生のおかげで
もうすぐ 必ずやってくる
見えなかった世の中が見え目を大きく開き
聞こえなかった人の声 鳥の声に歩き出す

小詩篇「花屑」その9   梶谷忠大



  大悲山峰定寺(ぶじょうじ)


鞍馬の奥と呼ばれる大悲山
雪解水や湧水が流れをつくる
やがて上桂川の源流となる
その麓に立つ峰定寺

山門をくぐり、境内に聳える高野槇を過ぎる
渓から吹いてくる若葉風
石楠花の花群も吹かれている
持ち物をあずけ、杖を与えられる

本堂をめざし急峻な磴をのぼる
いちだん一段、いちじょう一杖
ろっこんしょうじょう六根清浄
杖先に見つける、夏すみれ、羊歯若葉

ひと息ついて、梵鐘を撞き、神杉を見仰ぐ
岩陰にひそむ供養塔
喜界ヶ島に流された俊寛僧都
のがれ来た妻子はこの辺りで病没したという

切り立つ崖に沿って組まれた木の柱
その木組みの柱に支えられて建つ本堂
五間四面の舞台懸崖造り
大峰熊野の修験者三瀧上人観空の創建になる

杖を置き、履物を脱ぎ、堂を巡る廊に立つ
深い谿を見下ろすと身体がすくむ
身を低くし、欄干の隙から、恐る恐る
渓若葉をのぞき観る

ろっこんしょうじょう六根清浄
わずか数十メートルの修験道
わずか数十分のおとない
なれど
若葉風に吹かれながら
哀史を肌身で感じる巡礼行であった





  春の地震(ない)       梶谷予人



朝刊の見出しおどろし春の地震


無量光放つ臘梅ありにけり


料峭や妻のリハビリ矻矻と


どんよりを愛せし詩人養花天


蓮の骨風に彫琢されしかな


寒苦鳥国境いよよ越え難く

白い月   斗沢テルオ



嫉妬に疼いたり
功名心に苦悶したり
心の深みにどんどんはまっていくとき
決まって夜の空を見上げ
その衛星に
人生の焦燥を預けていた

気がつけば
昼の空にもうっすら輪郭
恒星に身を委ね
存在をひけらかすでもなく
かといって黄への変身はぬかりなく
―― 白い月

預けた卑屈も羨望も
いつだってお返ししますとばかり
俺を見ている
―― 白い月

誰のもの?   吉田定一



あの漁場で獲られた あの魚は誰のもの?
漁師のものだ

あの店先で売っている あの魚は誰のもの?
魚屋さんの店主のもの

夕餉の食卓に並んだ この魚は誰のもの?
私たち家族のものさ

大海で泳いでいる あの魚は誰のもの?
まだ誰のものでもない みんなのもの

―― 誰のものでもあって
  誰のものでもない

月も 星も この地球の広い大地も
水平線も

そして私たち人間も
誰のものでもあって 誰のものでもない

悲しみも嘆きも また幸せも
誰のものでもあって 誰のものでもない

そうさ みんなのものさ
月が産湯(うぶゆ)に浸かっていた頃から…

―― Good luck(グッド ラック)!

しんしんしんしん   野呂 昶



木の幹に耳をそえると
しんしんしんしん

庭石に耳をそえると
しんしんしんしん

大地に耳をそえると
しんしんしんしん

木や石や大地のうちがわから
そのさらに奥深くから
わたしのいのちに つながる音が
しんしんしんしん
しんしんしんしん

むらさきしきぶ   野呂 昶(のろ さかん)



もの静かで しとやか
それでいて 激しい思いを
内に秘めている
じっと見つめられると
どうしていいか わからなくなる

むらさきの実の なんというゆたかさ
心の奥深くから 香り出て
わたしの心をふるわせる
むらさきしきぶ
わたしは あなたの前に立ちつづける
夕ぐれがやさしく あなたをつつみ
その姿が見えなくなっても