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	<title>竹林館</title>
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	<description>「関西からの知の発信」</description>
	<pubDate>Fri, 20 Apr 2012 17:26:12 +0000</pubDate>
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		<title>普通、に近い強さ</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Apr 2012 17:26:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[書評の窓]]></category>

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		<description><![CDATA[空想とは畢竟現実を飛躍する意識の壮大な距離のことだ
片岡直子
※2012年4月28日付「図書新聞」より転載
 ▶森 哲弥随筆集『暮らしのとなり』
　12・1刊 四六判210頁 本体1800円
　竹林館
　一九四三年、京都市に生まれ、現在は滋賀県湖南市に住む詩人による随筆集。
　子供の頃、「私たちは徒党を組んであそんでいた。体が弱かった私は木登りも苦手だったし、棹を川底に突き刺して棒高跳びの要領で対岸へ渡ることもできなかった」（「定年ポシェット」）という森さん。しかしその仲間内で、彼は時刻を教える時守であり、怪我をした仲間にメンソレータムを塗ってやり、柿や無花果のありかを望遠鏡で探して教えてやる役目を担っていた。
　息子さんから、「お父さんと昔、一回だけ海へ行ったなあ」（「台所避暑地」）と言われ、自身を「出無精」と書くけれど、プロフィールには、「麻疹の高熱により脳性まひに罹患」し、一年遅れて小学校へ入学、二十四歳のときに立命館大学を卒業したとある。元同僚の田辺久子氏の紹介文には、「言語発声の不自由さを潜り抜けて紡ぎ出される言葉には、無駄がなく、集中して聞きとろうとする者たちのこころをとらえました」と。
　「看忙」という文章がある。言葉の意味は、「富み栄えて閑のある人が、貧しくて忙しげに働き疲れている人々を冷然として看る意」（「広辞苑第六版」）。一昨年の夏、辞書を逍遥していた著者は、この言葉に出会う。この言葉が、現代を象徴しているように思えた。そのことを二人誌のエッセイに書く。詩誌の発行が遅れている間に東日本大震災が起こる。そして、世界中の多くの人々が、その一瞬には「看忙」しなかったことを、「その後のこと」に追記する。
　私が、この章を読んだ翌朝に出かけていった詩の口座で、この「看忙」をテーマにした作品が提出された。その詩は、震災から一年近くが過ぎ、ほぼ元通りの生活を取り戻している土地に住む女性が、復興がなかなか進まない被災地の映像を見て、当初の切実さから遠くなっている自分を描いていた。その後ろ姿を、今度は時を遡り、経済的な事情で高校を三か月で辞めざるを得なかった友に対し、何もできなかった十五歳の自分に重ねていた。
　森さんの文章に派手さはない。けれど、それは後から、あるいはこんな風に読んだ直後に、直接響いてくることもある。普通、に近い強さがある。
　「六十四歳の入園児」には、「頭ばっかり使うよりからだ使う方が楽しいでしょう」と、奥さんから言われるシーンがある。「入園」とは、障害児の教育に携わってきた延長で、家のそばの保育園へ工作を教えにいく時間のことなのだけれど、他にも大津の「ふれあいの家」で、お年寄りに工作を教えている文章もあり、手遊びを好んでしてきたという森さんは、「逞しい牽牛星とはついに無縁の私だったが、機を織る織女星のしなやかな手には少し肖れた気がする」（「七夕の手」）と、現在も引っ張りだこの様子。
　文章にも人にも、知らずに疾走感を求めていたらしい私は、森さんの思考の森で、しばし立ち止まる。もしも私が本を閉じ、読んだことを忘れて、走り始めたとしても、言葉は残っていて、後から作用してくる予感がある。
　「空想と現実」では、現代社会において、「空想の振幅は逓減している」と綴る。「歩くことしか移動手段がなかった時代には人は既に鳥のように空を飛ぶことを空想していた」と。確かに、ここ二十年ほどのことを考えても、先の行きづまりというか、空想や想像の意欲が削がれる事柄に直面することが多い。「空想が現実との距離を失う時、極度に発達した文明の中で意識世界を枯渇させつつ人類は滅亡の急坂を転がり落ちるであろう。空想とは畢竟現実を飛躍する意識の壮大な距離のことだ」。これは六年も前の文章だけれど、多くの日本人が、こんなことを感じながら、今日を過ごしているのではないだろうか。
　読み終えて、タイトルに戻る。考えることがいくらでも、そこにある。
　　　　　　　　　                             　　　　　　　　　　　　　　　　（詩人）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>空想とは畢竟現実を飛躍する意識の壮大な距離のことだ<br />
片岡直子</strong></p>
<p>※2012年4月28日付「図書新聞」より転載</p>
<p><strong> ▶森 哲弥随筆集『暮らしのとなり』<br />
　12・1刊 四六判210頁 本体1800円<br />
　竹林館</strong></p>
<p>　一九四三年、京都市に生まれ、現在は滋賀県湖南市に住む詩人による随筆集。<br />
　子供の頃、「私たちは徒党を組んであそんでいた。体が弱かった私は木登りも苦手だったし、棹を川底に突き刺して棒高跳びの要領で対岸へ渡ることもできなかった」（「定年ポシェット」）という森さん。しかしその仲間内で、彼は時刻を教える時守であり、怪我をした仲間にメンソレータムを塗ってやり、柿や無花果のありかを望遠鏡で探して教えてやる役目を担っていた。<br />
　息子さんから、「お父さんと昔、一回だけ海へ行ったなあ」（「台所避暑地」）と言われ、自身を「出無精」と書くけれど、プロフィールには、「麻疹の高熱により脳性まひに罹患」し、一年遅れて小学校へ入学、二十四歳のときに立命館大学を卒業したとある。元同僚の田辺久子氏の紹介文には、「言語発声の不自由さを潜り抜けて紡ぎ出される言葉には、無駄がなく、集中して聞きとろうとする者たちのこころをとらえました」と。<br />
　「看忙」という文章がある。言葉の意味は、「富み栄えて閑のある人が、貧しくて忙しげに働き疲れている人々を冷然として看る意」（「広辞苑第六版」）。一昨年の夏、辞書を逍遥していた著者は、この言葉に出会う。この言葉が、現代を象徴しているように思えた。そのことを二人誌のエッセイに書く。詩誌の発行が遅れている間に東日本大震災が起こる。そして、世界中の多くの人々が、その一瞬には「看忙」しなかったことを、「その後のこと」に追記する。<br />
　私が、この章を読んだ翌朝に出かけていった詩の口座で、この「看忙」をテーマにした作品が提出された。その詩は、震災から一年近くが過ぎ、ほぼ元通りの生活を取り戻している土地に住む女性が、復興がなかなか進まない被災地の映像を見て、当初の切実さから遠くなっている自分を描いていた。その後ろ姿を、今度は時を遡り、経済的な事情で高校を三か月で辞めざるを得なかった友に対し、何もできなかった十五歳の自分に重ねていた。<br />
　森さんの文章に派手さはない。けれど、それは後から、あるいはこんな風に読んだ直後に、直接響いてくることもある。普通、に近い強さがある。<br />
　「六十四歳の入園児」には、「頭ばっかり使うよりからだ使う方が楽しいでしょう」と、奥さんから言われるシーンがある。「入園」とは、障害児の教育に携わってきた延長で、家のそばの保育園へ工作を教えにいく時間のことなのだけれど、他にも大津の「ふれあいの家」で、お年寄りに工作を教えている文章もあり、手遊びを好んでしてきたという森さんは、「逞しい牽牛星とはついに無縁の私だったが、機を織る織女星のしなやかな手には少し肖れた気がする」（「七夕の手」）と、現在も引っ張りだこの様子。<br />
　文章にも人にも、知らずに疾走感を求めていたらしい私は、森さんの思考の森で、しばし立ち止まる。もしも私が本を閉じ、読んだことを忘れて、走り始めたとしても、言葉は残っていて、後から作用してくる予感がある。<br />
　「空想と現実」では、現代社会において、「空想の振幅は逓減している」と綴る。「歩くことしか移動手段がなかった時代には人は既に鳥のように空を飛ぶことを空想していた」と。確かに、ここ二十年ほどのことを考えても、先の行きづまりというか、空想や想像の意欲が削がれる事柄に直面することが多い。「空想が現実との距離を失う時、極度に発達した文明の中で意識世界を枯渇させつつ人類は滅亡の急坂を転がり落ちるであろう。空想とは畢竟現実を飛躍する意識の壮大な距離のことだ」。これは六年も前の文章だけれど、多くの日本人が、こんなことを感じながら、今日を過ごしているのではないだろうか。<br />
　読み終えて、タイトルに戻る。考えることがいくらでも、そこにある。</p>
<p>　　　　　　　　　                             　　　　　　　　　　　　　　　　（詩人）</p>
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		</item>
		<item>
		<title>『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』参加へのご案内</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=227</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=227#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 10 Mar 2012 07:56:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TOPICS]]></category>

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		<description><![CDATA[『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』参加へのご案内
2012年3月吉日
全国生活語詩の会代表　有馬　敲
発行所　㈱竹林館
〒530-0044大阪市北区東天満2-9-4
千代田ビル東館7階FG
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112
E-mail:home@chikurinkan.co.jp
今こそ生活語を！
　拝啓　向春の候、皆様ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
　さて、2010年に企画しました『現代生活語・ロマン詩選2010』は、前書『現代生活語・ロマン詩選』に引き続き、皆様のご協力によりたいへん好評を得ました。たんに書籍のなかにとどまることなく、各地で開催されている朗読会で朗読され、肉声による生きたアンソロジーとして発展してまいりました。
　また、各地における朗読会は、山の街企画の永井ますみさんの熱心な録画録音の活動によりＤＶＤ化され、全国的な広がりをもつ現代詩の新しいムーヴメントとして各方面から注目を浴びております。
　その成果を踏まえつつ、㈱竹林館の協力を得て、本年『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』を企画し、詩のことばの可能性を求めて「生活語」に関心をお持ちの詩人の作品を募り、制作させていただくことになりました。
　生活語は、日常の話しことば、土地のことば、あるいは生の口語を意味しています。現在、日本各地で話されていることばは方言と呼ばれていることもあれば、俗語、若者語、外来語、隠語、職業語、専門語などもあります。さらに共通語に近いが、共通語とは微妙な差異がある口語も使われています。ひと口でいえば、生活語はこれまでの共通語対方言の枠組みを超えた言文一致の詩への切り口となりうることばであると考えられます。
　もちろん個々の実感に即した生きたことばの復権は、詩の世界においてのみ切実に望まれていることではありません。昨年の大震災や原発事故により、誰もが従来の「経済的閉塞感」を超えた自然観・文明観を含む深い「文化的閉塞感」にとらわれていると言えます。そういった社会状況を踏まえ、力ある希望のことばを紡ぎ出す、といったコンセプトにより、「空と海と大地と」を今回のアンソロジーの表題としました。「空と海と大地と」を発想の起点として参考とされ、これに捕われることなく、生き生きとした生活語でもって表現される詩作品を募集いたします。刊行されて終わるのではなく、刊行されてから多彩な交流や反響が始まるところの、斬新なアンソロジーを世に出したいと願って、下記のとおり企画したしだいです。
　趣旨ご賛同の上、ふるってご参加くださいますよう、切にお待ちいたしております。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　敬具
　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記　
（１）書名　 『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』
（２）仕様　① 四六判（日本国内出版コード付）上製カバー装帯付。
　　　　　　 ② 原則として２頁で本文合計６５行（二段組・題名３行を含む・１行２２字）
　　　　　　　  詩集４冊進呈。既発表可。原稿はＡ４サイズ厳守。
（３）締切　２０１２年５月末日
（４）著者校正１回
（５）刊行予定　２０１２年１０月１日
（６）申込先　竹林館気付全国生活語詩の会
　　　　　　　　　（別紙参加申込書と同時に作品原稿を同封ください。）
（７）参加費　編集委員会で採否決定作品　　一人二頁　１５，０００円
　　　　　　　採否決定後、請求書と振替用紙をお送りさせて頂きますので、
　　　　　　　その後お振り込みください。
　　　　　　　（作品の最終的な諾否は編集委員会にご一任ください。）
（８）全国生活語詩の会編集委員会　（五十音順）
有馬　敲（監修）　小松弘愛（四国）　斎藤彰吾（東北）　永井ますみ（関西）
なんば・みちこ（中国）　原　圭治（関西）　原子　修（北海道）　南　邦和（九州）
ムイ・フユキ（沖縄）　山本十四尾（関東）
及び全国各地域に編集協力者数名
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                                                                  以上
『現代生活語詩集2012』募集要項
『現代生活語詩集2012』申込書
※左クリックして御覧ください。PDFファイルが開きます。印刷もして頂けます。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong>『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』参加へのご案内</strong></p>
<p style="text-align: right;">2012年3月吉日<br />
全国生活語詩の会代表　有馬　敲</p>
<p style="text-align: right;">発行所　㈱竹林館<br />
〒530-0044大阪市北区東天満2-9-4<br />
千代田ビル東館7階FG<br />
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112<br />
E-mail:home@chikurinkan.co.jp</p>
<p style="text-align: center;"><strong>今こそ生活語を！</strong></p>
<p>　拝啓　向春の候、皆様ますますご健勝のこととお慶び申しあげます。<br />
　さて、2010年に企画しました『現代生活語・ロマン詩選2010』は、前書『現代生活語・ロマン詩選』に引き続き、皆様のご協力によりたいへん好評を得ました。たんに書籍のなかにとどまることなく、各地で開催されている朗読会で朗読され、肉声による生きたアンソロジーとして発展してまいりました。<br />
　また、各地における朗読会は、山の街企画の永井ますみさんの熱心な録画録音の活動によりＤＶＤ化され、全国的な広がりをもつ現代詩の新しいムーヴメントとして各方面から注目を浴びております。<br />
　その成果を踏まえつつ、㈱竹林館の協力を得て、本年『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』を企画し、詩のことばの可能性を求めて「生活語」に関心をお持ちの詩人の作品を募り、制作させていただくことになりました。</p>
<p>　生活語は、日常の話しことば、土地のことば、あるいは生の口語を意味しています。現在、日本各地で話されていることばは方言と呼ばれていることもあれば、俗語、若者語、外来語、隠語、職業語、専門語などもあります。さらに共通語に近いが、共通語とは微妙な差異がある口語も使われています。ひと口でいえば、生活語はこれまでの共通語対方言の枠組みを超えた言文一致の詩への切り口となりうることばであると考えられます。</p>
<p>　もちろん個々の実感に即した生きたことばの復権は、詩の世界においてのみ切実に望まれていることではありません。昨年の大震災や原発事故により、誰もが従来の「経済的閉塞感」を超えた自然観・文明観を含む深い「文化的閉塞感」にとらわれていると言えます。そういった社会状況を踏まえ、力ある希望のことばを紡ぎ出す、といったコンセプトにより、「空と海と大地と」を今回のアンソロジーの表題としました。「空と海と大地と」を発想の起点として参考とされ、これに捕われることなく、生き生きとした生活語でもって表現される詩作品を募集いたします。刊行されて終わるのではなく、刊行されてから多彩な交流や反響が始まるところの、斬新なアンソロジーを世に出したいと願って、下記のとおり企画したしだいです。</p>
<p style="text-align: left;">　趣旨ご賛同の上、ふるってご参加くださいますよう、切にお待ちいたしております。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　敬具<br />
　　　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　記　</p>
<p>（１）書名　 『現代生活語詩集2012・空と海と大地と』<br />
（２）仕様　① 四六判（日本国内出版コード付）上製カバー装帯付。<br />
　　　　　　 ② 原則として２頁で本文合計６５行（二段組・題名３行を含む・１行２２字）<br />
　　　　　　　  詩集４冊進呈。既発表可。原稿はＡ４サイズ厳守。<br />
（３）締切　２０１２年５月末日<br />
（４）著者校正１回<br />
（５）刊行予定　２０１２年１０月１日<br />
（６）申込先　竹林館気付全国生活語詩の会<br />
　　　　　　　　　（別紙参加申込書と同時に作品原稿を同封ください。）<br />
（７）参加費　編集委員会で採否決定作品　　一人二頁　１５，０００円<br />
　　　　　　　採否決定後、請求書と振替用紙をお送りさせて頂きますので、<br />
　　　　　　　その後お振り込みください。<br />
　　　　　　　（作品の最終的な諾否は編集委員会にご一任ください。）<br />
（８）全国生活語詩の会編集委員会　（五十音順）</p>
<p>有馬　敲（監修）　小松弘愛（四国）　斎藤彰吾（東北）　永井ますみ（関西）<br />
なんば・みちこ（中国）　原　圭治（関西）　原子　修（北海道）　南　邦和（九州）<br />
ムイ・フユキ（沖縄）　山本十四尾（関東）<br />
及び全国各地域に編集協力者数名<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                                                                  以上</p>
<p><a href="http://www.chikurinkan.co.jp/topics/wp-content/uploads/2012/03/seikatugo2012.pdf">『現代生活語詩集2012』募集要項</a></p>
<p><a href="http://www.chikurinkan.co.jp/topics/wp-content/uploads/2012/03/e7949fe6b4bbe8aa9ee8a9a9e99b862012e38080e794b3e8bebce69bb8.pdf">『現代生活語詩集2012』申込書</a></p>
<p>※左クリックして御覧ください。PDFファイルが開きます。印刷もして頂けます。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>～ポエム「風」フェスティバル２０１１の御案内～</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=193</link>
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		<pubDate>Tue, 21 Jun 2011 01:43:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TOPICS]]></category>

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		<description><![CDATA[　
　
　　　。. .。.:*・゜゜・*:.。..。
　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　詩を朗読する詩人の会「風」
　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　ポエム「風」フェスティバル２０１１

　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*
　　　　　　　　　　　　　　　時：2011年8月7日（日）
　　　　　　　　　　　　　　　於：エル・おおさか
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〒540-0031
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大阪市中央区北浜東3-14
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　電話 06－6942－0001
『アンソロジー風Ⅹ（第十集）』出版を記念する会です。
参加作品より選ばれた＜風賞＞を授賞いたします。
みなさまぜひご参集ください！　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　
第一部（地下一階　プチ・エル）1:00～4:00（12:30受付開始）
　司会　蔭山辰子 参加費1500円
　○ 開会の挨拶　　佐古祐二
　○ 講演「詩の力」　横田英子
　○ 授賞式　選考経過報告　佐古祐二
　　　　　   受賞者の言葉と朗読　
　　　　　　　　　―休憩１０分―
　
　○「天の羊」による演奏と歌
　○ 詩朗読　
　　 永井ますみ・佐藤勝太・平岡けいこ・田村照視・おしだとしこ・　
　　 大西久代・武西良和・名古きよえ
　○ 閉会の挨拶　代表 中尾彰秀
第二部（１０階宴会場　竹）4:30～6:30
　『アンソロジー風Ⅹ（第十集）』出版記念会および懇親会
 司会　近藤摩耶・左子真由美  参加費5000円
　○ 開会の挨拶 中尾彰秀
　○ 乾杯の音頭
　○ みなさまのスピーチ
　○ 閉会の挨拶 佐古祐二
 　
詩を朗読する詩人の会「風」世話人
＊
蔭山辰子・近藤摩耶・左子真由美・佐古祐二・
中尾彰秀・野島洋光・水口洋治・モリグチタカミ
後援
＊
「ＰＯ］の会／森羅通信／EARTHPOEMPROJECT／株式会社 竹林館
　
☆お申し込みは・・・

　・中尾彰秀
　　　　TEL＆FAX　073-422-7248

　・竹林館
　　　　TEL:06-4801-6111 FAX:06-4801-6112
　　　　E-mail:home@chikurinkan.co.jp
※　電話、ＦＡＸ、メールいずれでも受け付けております。
　　住所、氏名、一部・二部それぞれについて参加・不参加を御明記のうえ、
　　7月末日までにお申し込みください。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp" style="text-align: left;">　</div>
<div class="mceTemp" style="text-align: left;">　</div>
<div class="mceTemp" style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; color: #996699;">　　　。. .。.:*・゜゜・*:.。..。</span><br />
　　　　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　<em>詩を朗読する詩人の会「風」</em><br />
<strong>　　　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　　<span style="font-size: medium; font-family: Times New Roman;"><em>ポエム「風」フェスティバル２０１１</em></span><br />
</strong></div>
<div class="mceTemp" style="text-align: left;"><span style="font-size: medium; color: #996699;"><span style="color: #000000;">　　　　　　　　　　　</span><br />
　　　　　　　　　　　　　　　*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*</span></div>
<p style="text-align: left;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　時：2011年8月7日（日）<br />
　　　　　　　　　　　　　　　於：エル・おおさか</strong><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〒540-0031<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大阪市中央区北浜東3-14<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　電話 06－6942－0001</p>
<p style="text-align: center;"><strong>『アンソロジー風Ⅹ（第十集）』</strong>出版を記念する会です。<br />
参加作品より選ばれた<strong>＜風賞＞</strong>を授賞いたします。<br />
みなさまぜひご参集ください！<strong>　　　　　　　　　　</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　　　<br />
第一部</strong>（地下一階　プチ・エル）1:00～4:00（12:30受付開始）</p>
<p>　司会　蔭山辰子 参加費1500円</p>
<p>　○ 開会の挨拶　　佐古祐二<br />
　○ 講演「詩の力」　横田英子</p>
<p>　○ 授賞式　選考経過報告　佐古祐二<br />
　　　　　   受賞者の言葉と朗読　</p>
<p>　　　　　　　　　―休憩１０分―<br />
　<br />
　○「天の羊」による演奏と歌<br />
　○ 詩朗読　<br />
　　 永井ますみ・佐藤勝太・平岡けいこ・田村照視・おしだとしこ・　<br />
　　 大西久代・武西良和・名古きよえ</p>
<p>　○ 閉会の挨拶　代表 中尾彰秀</p>
<p><strong>第二部</strong>（１０階宴会場　竹）4:30～6:30<br />
　『アンソロジー風Ⅹ（第十集）』出版記念会および懇親会</p>
<p> 司会　近藤摩耶・左子真由美  参加費5000円</p>
<p>　○ 開会の挨拶 中尾彰秀<br />
　○ 乾杯の音頭<br />
　○ みなさまのスピーチ<br />
　○ 閉会の挨拶 佐古祐二</p>
<p> 　</p>
<p style="text-align: center;"><strong>詩を朗読する詩人の会「風」世話人<br />
</strong>＊<br />
蔭山辰子・近藤摩耶・左子真由美・佐古祐二・<br />
中尾彰秀・野島洋光・水口洋治・モリグチタカミ</p>
<p style="text-align: center;"><strong>後援<br />
</strong>＊<br />
「ＰＯ］の会／森羅通信／EARTHPOEMPROJECT／株式会社 竹林館</p>
<p>　<br />
☆お申し込みは・・・<br />
<strong><br />
　・中尾彰秀</strong><br />
　　　　TEL＆FAX　073-422-7248<br />
<strong><br />
　・竹林館</strong><br />
　　　　TEL:06-4801-6111 FAX:06-4801-6112<br />
　　　　E-mail:home@chikurinkan.co.jp</p>
<p>※　電話、ＦＡＸ、メールいずれでも受け付けております。<br />
　　住所、氏名、一部・二部それぞれについて参加・不参加を御明記のうえ、<br />
　　7月末日までにお申し込みください。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>3・11以後の生き方を示唆</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=186</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=186#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 May 2011 11:57:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[書評の窓]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=186</guid>
		<description><![CDATA[独創的な香りがただようスタイル
有馬　敲
※2011年5月21日付「図書新聞」より転載
 ▶左子真由美詩集『Mon Dico＊愛の動詞』
　12・24刊 A5変型判58頁 本体1500円
　竹林館
　『Mon Dico＊愛の動詞』は著者が単独で出版した七冊目の詩集である。短詩四十篇がすべてフランス語の動詞の題名、横書きの散文形式で構成されている。そしてそれぞれの作品のなかにカタカナで発音の仕方が挿入され、独創的な香りがただようスタイルだ。
　「Mon Dico」というのはフランス語の話しことばで、「わたしの字引」という意味だが、作品の内容もそれにふさわしく、それぞれやさしい語り口になっている。もっとも、「愛」という抽象的な漢字は、日本の風土から生まれたというよりは、西欧産のバターくさい輸入語じみた語感をあたえないでもない。
　愛すること。好きだってこと。これは一番
　大切な動詞。すべての答えはここにあると
　思うの。コーヒーが好き。
　　　　　　　　　　　 〈「Aimer」冒頭〉
　愛は文学、道徳、哲学、宗教いずれの観点からいっても、もっとも根本的な観念の一つである。とくにキリスト教の文化圏でこの観念をめぐって、思想が展開していった。しかしふつうの辞書がアルファベット順に単語を配列しているのと異なり、この字引はフランス語の任意の動詞を自分流に並べていて、その作品を読んでいくにつれて、作者がキリスト教徒でないことに気づく。
　「存在と無」はムッシュー・サルトル。存
　在するとは。ここにあることとは。謎だら
　けなエートル。わかっているのはただひと
　つだけ。わたしはすっかりあなたのもの、
　だってこと。
　　　　　　　　　　　　〈「Être」後尾〉
　さらにこんどの詩集を、同じ作者の五冊めの詩集『愛の手帖』（二〇〇五）と対比して読むと興味深い。『愛の手帖』の詩法は二七篇すべて、漢字の名詞の題名になっている。しかも、目次では漢字と横文字のフランス語で配列されているが、それぞれの作品では漢字の題名の下にフランス語読みのカタカナが示され、どの作品もすべてひらがなで表現されている。
　作者は学生時代にフランス語を学んだ。とりわけジャック・プレヴェールに傾倒して、そのすぐれた日本語訳を残しているが、その後はパリで約一年間、主婦として生活した体験を持っている。そうした土壌に培われて、前詩集『あんびじぶる＊invisible』（二〇〇九）もフランス語読みの形容詞の題名で、著者の出版社竹林館から写真との共同制作を母娘の手によって、まばゆい光の手紙にして届けた。
　こんどの詩集は二〇一〇年一二月下旬に出されているが、ことしの東日本大震災、3・11以後の人びとの生き方を示唆するように重い意味を持っている。
　生きること。生きていること。生活するこ
　と。暮らすこと。田舎に。都会に。誰かと。
　誰と？　みんな生きている。たとえ戦いの
　中でも。たとえ貧しい日々であっても。う
　さぎも、蛙も、蛇だってみんな。踏まれて
　も蹴られても生きている。砂漠の蠍。熱帯
　の蝶。暗い海の底の魚だって。思い出の中
　で大好きだったひとがいつまでも生き続け
　るように。ヴィーヴル。たとえようもなく
　やさしい地球の上で。
　　　　　　　　　　　 〈「Vivre」全行〉
　作者は以前、詩集『空と地上の間で』（二〇〇二）で人間の入り組んだ感情や交錯した複雑な思いを散文詩に残しているが、こんどの散文詩ではそれらを形而上的に濾過して、生きることに愛と希望をあたえる質度の高い内容になっている。Ａ５判変型のモノクロームを生かした表紙カバーの装丁も念入りだ。
                                          　　　　　　　　　　　　　　　　　（詩人）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>独創的な香りがただようスタイル<br />
有馬　敲</strong></p>
<p>※2011年5月21日付「図書新聞」より転載</p>
<p> ▶<strong>左子真由美詩集『Mon Dico＊愛の動詞』<br />
</strong>　12・24刊 A5変型判58頁 本体1500円<br />
　竹林館</p>
<p>　『Mon Dico＊愛の動詞』は著者が単独で出版した七冊目の詩集である。短詩四十篇がすべてフランス語の動詞の題名、横書きの散文形式で構成されている。そしてそれぞれの作品のなかにカタカナで発音の仕方が挿入され、独創的な香りがただようスタイルだ。<br />
　「Mon Dico」というのはフランス語の話しことばで、「わたしの字引」という意味だが、作品の内容もそれにふさわしく、それぞれやさしい語り口になっている。もっとも、「愛」という抽象的な漢字は、日本の風土から生まれたというよりは、西欧産のバターくさい輸入語じみた語感をあたえないでもない。</p>
<p>　愛すること。好きだってこと。これは一番<br />
　大切な動詞。すべての答えはここにあると<br />
　思うの。コーヒーが好き。<br />
　　　　　　　　　　　 〈「Aimer」冒頭〉</p>
<p>　愛は文学、道徳、哲学、宗教いずれの観点からいっても、もっとも根本的な観念の一つである。とくにキリスト教の文化圏でこの観念をめぐって、思想が展開していった。しかしふつうの辞書がアルファベット順に単語を配列しているのと異なり、この字引はフランス語の任意の動詞を自分流に並べていて、その作品を読んでいくにつれて、作者がキリスト教徒でないことに気づく。</p>
<p>　「存在と無」はムッシュー・サルトル。存<br />
　在するとは。ここにあることとは。謎だら<br />
　けなエートル。わかっているのはただひと<br />
　つだけ。わたしはすっかりあなたのもの、<br />
　だってこと。<br />
　　　　　　　　　　　　〈「Être」後尾〉</p>
<p>　さらにこんどの詩集を、同じ作者の五冊めの詩集『愛の手帖』（二〇〇五）と対比して読むと興味深い。『愛の手帖』の詩法は二七篇すべて、漢字の名詞の題名になっている。しかも、目次では漢字と横文字のフランス語で配列されているが、それぞれの作品では漢字の題名の下にフランス語読みのカタカナが示され、どの作品もすべてひらがなで表現されている。<br />
　作者は学生時代にフランス語を学んだ。とりわけジャック・プレヴェールに傾倒して、そのすぐれた日本語訳を残しているが、その後はパリで約一年間、主婦として生活した体験を持っている。そうした土壌に培われて、前詩集『あんびじぶる＊invisible』（二〇〇九）もフランス語読みの形容詞の題名で、著者の出版社竹林館から写真との共同制作を母娘の手によって、まばゆい光の手紙にして届けた。<br />
　こんどの詩集は二〇一〇年一二月下旬に出されているが、ことしの東日本大震災、3・11以後の人びとの生き方を示唆するように重い意味を持っている。</p>
<p>　生きること。生きていること。生活するこ<br />
　と。暮らすこと。田舎に。都会に。誰かと。<br />
　誰と？　みんな生きている。たとえ戦いの<br />
　中でも。たとえ貧しい日々であっても。う<br />
　さぎも、蛙も、蛇だってみんな。踏まれて<br />
　も蹴られても生きている。砂漠の蠍。熱帯<br />
　の蝶。暗い海の底の魚だって。思い出の中<br />
　で大好きだったひとがいつまでも生き続け<br />
　るように。ヴィーヴル。たとえようもなく<br />
　やさしい地球の上で。<br />
　　　　　　　　　　　 〈「Vivre」全行〉</p>
<p>　作者は以前、詩集『空と地上の間で』（二〇〇二）で人間の入り組んだ感情や交錯した複雑な思いを散文詩に残しているが、こんどの散文詩ではそれらを形而上的に濾過して、生きることに愛と希望をあたえる質度の高い内容になっている。Ａ５判変型のモノクロームを生かした表紙カバーの装丁も念入りだ。<br />
                                          　　　　　　　　　　　　　　　　　（詩人）</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>『アンソロジー風Ⅹ（第１０集）』作品ご参加のお願い</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=179</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=179#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 14:31:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TOPICS]]></category>

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		<description><![CDATA[『アンソロジー風Ⅹ（第１０集）』作品ご参加のお願い
 ２０１１年２月吉日 
 詩を朗読する詩人の会 「風」
　月に一度、さまざまな詩人をお招きして朗読会を開催している「詩を朗読する詩人の会『風』」は、1974年2月2日に発足以来、今年2月で創立37周年を迎えます。このように長く継続することができましたのは、ひとえに皆様のご協力のおかげと深く感謝しております。本会は3年に1度『アンソロジー風』を発行しており、先に第Ⅸ集まで出版し、風賞も5回授賞させていただきましたが、この度、『アンソロジー風Ⅹ』を企画し作品を募集いたします（その中から第6回風賞を選考させていただきます）。
  つきましては、以下要領で作品を募集いたしますので、奮ってご参加いただきますようお願い申しあげます。
 『アンソロジー風Ⅹ（第１０集）』募集要項
※左クリックして御覧ください。PDFファイルが開きます。印刷もして頂けます。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong>『アンソロジー風Ⅹ（第１０集）』作品ご参加のお願い</strong></p>
<p style="text-align: right;"> ２０１１年２月吉日 <br />
 詩を朗読する詩人の会 「風」</p>
<p>　月に一度、さまざまな詩人をお招きして朗読会を開催している「詩を朗読する詩人の会『風』」は、1974年2月2日に発足以来、今年2月で創立37周年を迎えます。このように長く継続することができましたのは、ひとえに皆様のご協力のおかげと深く感謝しております。本会は3年に1度『アンソロジー風』を発行しており、先に第Ⅸ集まで出版し、風賞も5回授賞させていただきましたが、この度、『アンソロジー風Ⅹ』を企画し作品を募集いたします（その中から第6回風賞を選考させていただきます）。<br />
  つきましては、以下要領で作品を募集いたしますので、奮ってご参加いただきますようお願い申しあげます。</p>
<p> <a href="http://www.chikurinkan.co.jp/topics/wp-content/uploads/2011/02/e382a2e383b3e382bde383ade382b8e383bce9a2a8e285a9e58b9fe99b86e8a681e9a085.pdf">『アンソロジー風Ⅹ（第１０集）』募集要項</a></p>
<p><strong>※左クリックして御覧ください。PDFファイルが開きます。印刷もして頂けます。<br />
</strong></p>
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		</item>
		<item>
		<title>詩と童話の境界を越えた《童話詩》の世界に誘う</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=172</link>
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		<pubDate>Sun, 19 Dec 2010 14:14:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[書評の窓]]></category>

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		<description><![CDATA[擬音が効果的、詩語が瑞々しいまでにイノセント
植田　隆
※2010年12月25日付「図書新聞」より転載
▶尾崎まこと著『尾崎まこと童話集　千年夢見る木』
　6・14刊、文庫判114頁・本体1200円・竹林館
　本書は童話集と記載してあるが、敢えてカテゴライズしていうならば、集中「鬼婆と河童の子」、「千年夢見る木」、「エジプトの海人」、「おれだけ村の火の玉坊や」の四篇はある意味、童話としての形式を持っており、「サクランボと大男」、「青麦畑」、「林檎ランプ」、「雪の音」、「誰なんだろう」の五篇は詩編であると見做してもいいと思う。かつて、わたしは著者の第一詩集『カメラ・オブスキュラ』に接したことがある。その時の印象でいえば、著者が紡ぎ出した詩作品は、必ずしも通例の詩という形式に収まりきれない位相を湛えていた。
　本書もまた、童話と詩篇に分岐させてそれぞれの作品を捉えられるとしても、表現された言葉から放射されたものは、絶えず物語性をおびながら、詩と童話の境界を越えて、読むものの心性を刺激してくるといえる。本書に収められている詩編は、極めて童話的であるといってもよく、さらにいえば、四篇の童話は、詩的相貌を持っているというように、作品について捉えることを可能にしている。とすれば、著者は、童話という形式や詩形式というものを逸脱させることによって、ひとつの《童話詩》のような世界を本書の中で表出しているというべきかもしれない。
　例えば、「林檎ランプ」には、こんな一節がある。
　「昼間は見えないけれど／一つ一つのまんなかに／小さな炎が／灯っているのです／夜になると皮をすかして／ほんのり明るむので／林檎山全体まるで／輝く童話の森のようです」
　林檎がランプのように灯っているという幻想的なイメージは、詩のメタファーというよりも、「輝く童話の森」という修辞が似つかわしいように、まさしく物語（童話）的だといえる。
　また「千年夢みる木」には、擬音が効果的に使われている。もとより、童話だからといって、賢治作品に見られるように擬音は別に珍しいことではない。だが、最初と最後に配置された「シューシュルル、シューシュララ／シューシュルル、シュー」は、香川県民謡の擬音と似ているが、微妙にちがうのだ。著者は、この作品の中で、この擬音を「時の流れる音だよ。／いつでもどこでも僕たちは／耳をすませば聞こえるよ」と記述していくのだが、このフレーズ自体、極めてポエジーに溢れていると見做すことができる。物語は、「南の熱帯地方の」「ハサミで切りとったようにまん丸」で、「お砂糖よりももっと細やかな粒の／流砂でおおわれていた」島に棲む、「毒なしコブラ」と「九九九年間に、九九九の夢をみた」裸の木との対話のシークエンスだ。「葉っぱの一枚もつけていない」裸の木と、「占い屋」でありながら「島一番の嫌われ者」の「毒なしコブラ」との往還は、夢を見ることが生命の証しでもあるかのように、言葉の音に共鳴していく。「小鳥たちの群れ」、「月の光」、「流砂が海に流れこむ音」といった言葉の音たちが、やがて「時の流れる音」として、「シューシュルル、シューシュララ／シューシュルル、シュー」と奏でていくことになる。わたしは、この一篇をそのように感受していきながら、まさしく《童話詩》の世界へと誘われていった。
　もう一篇について言葉を重ねてみたい。詩篇である「雪の音」は、まさしく言葉の音たちが散りばめられている。ここでもまた、「夢」を見ることが言葉の音となって表れてくる。「ふたり一緒に」みる「あたたかな夢」、「昇る夢」、「リスの大きな夢」、「熊のつつましい夢」、「蛙のゆかいな夢」、「くじけない私たちの夢」たちが、「絹ずれのような音」や「雪の音」と共鳴しあっていくのだ。この「雪の音」と題された詩篇を読みながら思うことは、詩語が、瑞々しいまでにイノセントであることだ。メタファーや粉飾のない詩語や言葉たちは、ここではひとりでに波動し合っていく。これは、言葉そのものの母型性を表出することによって、シンプルに、イノセントな抒情性を顕在化させていくことを意味する。著者の目指すポエジー（童話詩）とは、そんな世界なのだ。　　　（評論家）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>擬音が効果的、詩語が瑞々しいまでにイノセント<br />
植田　隆</strong></p>
<p>※2010年12月25日付「図書新聞」より転載</p>
<p><strong>▶尾崎まこと著『尾崎まこと童話集　千年夢見る木』<br />
</strong>　6・14刊、文庫判114頁・本体1200円・竹林館</p>
<p>　本書は童話集と記載してあるが、敢えてカテゴライズしていうならば、集中「鬼婆と河童の子」、「千年夢見る木」、「エジプトの海人」、「おれだけ村の火の玉坊や」の四篇はある意味、童話としての形式を持っており、「サクランボと大男」、「青麦畑」、「林檎ランプ」、「雪の音」、「誰なんだろう」の五篇は詩編であると見做してもいいと思う。かつて、わたしは著者の第一詩集『カメラ・オブスキュラ』に接したことがある。その時の印象でいえば、著者が紡ぎ出した詩作品は、必ずしも通例の詩という形式に収まりきれない位相を湛えていた。<br />
　本書もまた、童話と詩篇に分岐させてそれぞれの作品を捉えられるとしても、表現された言葉から放射されたものは、絶えず物語性をおびながら、詩と童話の境界を越えて、読むものの心性を刺激してくるといえる。本書に収められている詩編は、極めて童話的であるといってもよく、さらにいえば、四篇の童話は、詩的相貌を持っているというように、作品について捉えることを可能にしている。とすれば、著者は、童話という形式や詩形式というものを逸脱させることによって、ひとつの《童話詩》のような世界を本書の中で表出しているというべきかもしれない。<br />
　例えば、「林檎ランプ」には、こんな一節がある。<br />
　「昼間は見えないけれど／一つ一つのまんなかに／小さな炎が／灯っているのです／夜になると皮をすかして／ほんのり明るむので／林檎山全体まるで／輝く童話の森のようです」<br />
　林檎がランプのように灯っているという幻想的なイメージは、詩のメタファーというよりも、「輝く童話の森」という修辞が似つかわしいように、まさしく物語（童話）的だといえる。<br />
　また「千年夢みる木」には、擬音が効果的に使われている。もとより、童話だからといって、賢治作品に見られるように擬音は別に珍しいことではない。だが、最初と最後に配置された「シューシュルル、シューシュララ／シューシュルル、シュー」は、香川県民謡の擬音と似ているが、微妙にちがうのだ。著者は、この作品の中で、この擬音を「時の流れる音だよ。／いつでもどこでも僕たちは／耳をすませば聞こえるよ」と記述していくのだが、このフレーズ自体、極めてポエジーに溢れていると見做すことができる。物語は、「南の熱帯地方の」「ハサミで切りとったようにまん丸」で、「お砂糖よりももっと細やかな粒の／流砂でおおわれていた」島に棲む、「毒なしコブラ」と「九九九年間に、九九九の夢をみた」裸の木との対話のシークエンスだ。「葉っぱの一枚もつけていない」裸の木と、「占い屋」でありながら「島一番の嫌われ者」の「毒なしコブラ」との往還は、夢を見ることが生命の証しでもあるかのように、言葉の音に共鳴していく。「小鳥たちの群れ」、「月の光」、「流砂が海に流れこむ音」といった言葉の音たちが、やがて「時の流れる音」として、「シューシュルル、シューシュララ／シューシュルル、シュー」と奏でていくことになる。わたしは、この一篇をそのように感受していきながら、まさしく《童話詩》の世界へと誘われていった。<br />
　もう一篇について言葉を重ねてみたい。詩篇である「雪の音」は、まさしく言葉の音たちが散りばめられている。ここでもまた、「夢」を見ることが言葉の音となって表れてくる。「ふたり一緒に」みる「あたたかな夢」、「昇る夢」、「リスの大きな夢」、「熊のつつましい夢」、「蛙のゆかいな夢」、「くじけない私たちの夢」たちが、「絹ずれのような音」や「雪の音」と共鳴しあっていくのだ。この「雪の音」と題された詩篇を読みながら思うことは、詩語が、瑞々しいまでにイノセントであることだ。メタファーや粉飾のない詩語や言葉たちは、ここではひとりでに波動し合っていく。これは、言葉そのものの母型性を表出することによって、シンプルに、イノセントな抒情性を顕在化させていくことを意味する。著者の目指すポエジー（童話詩）とは、そんな世界なのだ。　　　（評論家）</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>生活語詩の集成</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=169</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=169#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 30 Nov 2010 05:46:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[書評の窓]]></category>

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		<description><![CDATA[出版ニュース社の「出版ニュース」2010年12月上旬号より転載
▼『現代生活語・ロマン詩選2010』
　　　　　　全国生活語詩の会　編
10.10.30刊　本体2500円　竹林館
　生活語による話しことばの詩を集めた『現代生活語・ロマン詩選2010』（B6判・324頁・2500円＋税・全国生活語詩の会編）が竹林館から刊行された。
　書名に2010とあえて暦年を入れたのは21世紀の現時点に生きている日本の生活語の詩が収録されているからであると。
　その理由について、本書に2編の詩を寄せている有馬敲氏は言う。〈…生活語による話しことばの詩は、血のかよったことば、音声による言語であり、ことばの本源的な特徴を持つ言文一致の詩であるが、その場で消えてしまう発声作用と聴覚に依存するので、きわめて変化しやすい性質をもっている。また流行語、新語、俗語などの発生、消滅につれて変化変形し、移り変っていく。これは話しことばの詩が生きたことばで、仲間、職場、地方、性別など、生活に直結しているからである…〉。
　本書は北から北海道・東北、関東・中部、関西、中国・四国、九州・沖縄の地域に分けて141人の詩人の詩を収録。関西が最も多く53人を数える。生活語、生活語詩という発想は関西から起こったとされている所以か。
　また生活語も方言、地域語にとどまらず、日常語、俗語、外来語、専門語、隠語、さらにコンピュータ用語まで様々。
　生活語詩の一端を紹介すると。竹内美智代さん（鹿児島弁）の詩「汽車」から冒頭の2節。〈薩摩の言葉は分かりにくい／なかでもこの村の浜言葉はつづめたうえに荒くて速い
はじめて汽車が村を通った大正初（はひっ）め／この頃生まれた赤子（あかご）はキサのつく名前が多（う）かった／男の子は　キサ男　キサ太郎　キサ乃介
女の子（おなごんこ）は　キサ　キサエ　キサ子　など／汽車がなまって“きさ”それもカタカナのキサになったのだ／あまりに多（うっ）すぎていつの間にか親たちのように屋号付（つっ）きで呼ばれた／男も女（おなご）もただキサになって／「樋屋（たんこや）んキサ　「水瓶屋（はんずや）」んキサ　「羽釜屋（はがまや）」んキサ　「ちょか屋」んキサに「よろず屋」んキサ／まだ沢山（ずんばい）のいろんなキサがおって……／おかげで皆（ねっから）仲良しの汽車好（ずっ）きだった……〉
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>出版ニュース社の「出版ニュース」2010年12月上旬号より転載</p>
<p><strong>▼『現代生活語・ロマン詩選2010』<br />
　　　　　　全国生活語詩の会　編<br />
</strong>10.10.30刊　本体2500円　竹林館</p>
<p>　生活語による話しことばの詩を集めた『現代生活語・ロマン詩選2010』（B6判・324頁・2500円＋税・全国生活語詩の会編）が竹林館から刊行された。<br />
　書名に2010とあえて暦年を入れたのは21世紀の現時点に生きている日本の生活語の詩が収録されているからであると。<br />
　その理由について、本書に2編の詩を寄せている有馬敲氏は言う。〈…生活語による話しことばの詩は、血のかよったことば、音声による言語であり、ことばの本源的な特徴を持つ言文一致の詩であるが、その場で消えてしまう発声作用と聴覚に依存するので、きわめて変化しやすい性質をもっている。また流行語、新語、俗語などの発生、消滅につれて変化変形し、移り変っていく。これは話しことばの詩が生きたことばで、仲間、職場、地方、性別など、生活に直結しているからである…〉。<br />
　本書は北から北海道・東北、関東・中部、関西、中国・四国、九州・沖縄の地域に分けて141人の詩人の詩を収録。関西が最も多く53人を数える。生活語、生活語詩という発想は関西から起こったとされている所以か。<br />
　また生活語も方言、地域語にとどまらず、日常語、俗語、外来語、専門語、隠語、さらにコンピュータ用語まで様々。<br />
　生活語詩の一端を紹介すると。竹内美智代さん（鹿児島弁）の詩「汽車」から冒頭の2節。〈薩摩の言葉は分かりにくい／なかでもこの村の浜言葉はつづめたうえに荒くて速い<br />
はじめて汽車が村を通った大正初（はひっ）め／この頃生まれた赤子（あかご）はキサのつく名前が多（う）かった／男の子は　キサ男　キサ太郎　キサ乃介<br />
女の子（おなごんこ）は　キサ　キサエ　キサ子　など／汽車がなまって“きさ”それもカタカナのキサになったのだ／あまりに多（うっ）すぎていつの間にか親たちのように屋号付（つっ）きで呼ばれた／男も女（おなご）もただキサになって／「樋屋（たんこや）んキサ　「水瓶屋（はんずや）」んキサ　「羽釜屋（はがまや）」んキサ　「ちょか屋」んキサに「よろず屋」んキサ／まだ沢山（ずんばい）のいろんなキサがおって……／おかげで皆（ねっから）仲良しの汽車好（ずっ）きだった……〉</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>生命の根源を起点とした世界の中で　　　　　　　　　　　　詩語が自在に解き放たれている</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=162</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=162#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 11 Sep 2010 13:56:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[書評の窓]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=162</guid>
		<description><![CDATA[詩人・日高てるにあっては、言葉とはいのち（生命）と同義である
村木　哲
※2010年7月31日付「図書新聞」より転載
▶日高てる詩集『めきしこの蕋』
　4.20刊　A6変型判46頁　本体1200円　竹林館
　袖珍本（しゅうちんぼん）という体裁をとった、一九四九年十月に発行された日高てるの第一詩集の復刻版（原本の判型は不明だが袖珍本ではないようだ）である。袖珍本とは、袖という字があるように、衣服の袖のなかに納めて持ち歩くことができるという意味の携帯本（現在でいえば文庫本に相当か）のことである。ソフトカバーで四十六頁という端正さが、詩集名の書体とともに、いい味わいを醸し出している。そして、なによりもこの詩集名は、極めて隠喩に溢れている。“めきしこ”とは、メキシコという国のことを指すのかは不明だとしても、“蕋”は、雄しべ、雌しべの“しべ”にあたる言葉（辞書によれば、「ひも・緒などのふさのもとにつける飾り」という意味もある）なのだが、“めきしこの蕋”から漂うイメージは、一見捉えにくさを感じさせながら、なにか不思議な迷宮世界を垣間見せてくれるような気がしてならない。もとより、詩集名と同じ詩作品が収載されているが、“めきしこ”や“蕋”を直接的に喚起する詩語は見あたらない。そのようなことを思いながら、この詩集に分け入ってみれば、真っ先に詩語の緊密さ、濃密さといったことを感じる。「作品」と題した巻頭に配置された詩篇から、「街」までの十三篇の前半部にそのことは特に際立っているといえる。「さくら」から「年越え」までの後半部九篇（「めきしこの蕋」も含む）までは、詩語の緊密さが解き放たれて自在に遊泳しているかのように感じられていく。この転移していく構成は、なにを意味するのだろうかと考えていくことによって、この詩集の持つ深度に幾らかでも到達できるかもしれない。
　「かなしみに　地をこうる／執ようなる肢体。／いらくさしげる　葉うらはらい。傷む。／膚　むしり。／鱗は　ほろほろ　空に散る。」（「天」）
　「地の涯にあれ。／岩礁の天。／草薔薇を喰みて　渇をかさね。／おお、燃焼の臓腑の抗い。」（「岩礁」）
　「眼窩は昏み　地を噴きあげる。／ああ　これの陽炎。」（「うすばかげろうの炎天」）
　「肢体」、「葉」、「鱗」とも、「いのち（生命）」の象徴としてある。「かなしみ」、「傷む」という心象は、「いのち（生命）」あることの証しといえよう。わたしは「天」や、「岩礁」という言葉に、強い意志を思う。植物の「いのち（生命）」を「喰みて」、「いのち（生命）」を循環・再生させようとする意志とでもいおうか。さらにいえば、「眼窩」もまた「岩礁」に通底する言葉（生命）の濃密性を露にさせていく。そう、この詩人にあっては、言葉とは生命（いのち）と同義であるのだ。
　後半部にあたる二編に触れてみるならば、「まつわりくる　影をひきづり／／今宵　みずからの　ひろげし翅紋。／／その羽毛　狂おしく　あふれくる　いのち／／いづかたにや　おそるべき陽炎となる。」（「翅紋あるゆふべに」）や、「ふかいしづもりを　はらばい／／天のおくがに　ひらいた花／／今宵、月の滴りうけて　沈まん。」（「めきしこの蕋」）には、「あふれくる　いのち」が率直に謳われていく。また、「陽炎」が持つ方位の差異が「岩礁」と「翅紋……」にはあるとみなすならば、この間隙には「いのち」の拡張感とでもいうべきものが潜在している。「めきしこの蕋」とは、「天のおくがに　ひらいた花」であり、「月の滴りうけて」存在する。これは、三木成夫の『胎児の世界』を敷衍させて述べるならば、人類、動物、植物に相渉る生命循環の象徴と捉えてみたい気がするし、この詩人の詩語が放つ世界は、言葉を通した生命の根源を起点としているのだといいたい。ところで、大阪文学学校のSiteのなかで、講師紹介の欄において、日高てる（名誉理事でもある）は次のように述べている。
　「一個の他者としてサルトルから出発した批評としての詩の方法論を社会事象や事件をモチーフとして再構築し表現していきたい。――やさしい言葉で深く。それは『言葉が言うようになるまで言葉を言わなくてはならない』（Ｍ・フーコー）。言葉が言うようになるまでの根源にこだわりたい。体験は思考を欲求し伸ばす。音声表現、文字表現ともに対話により追求しようではありませんか。」
　まさしく、「言葉が言うようになるまでの根源」とは、日高にとって、「生命の根源」と同義であるに違いない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　（評論家）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>詩人・日高てるにあっては、言葉とはいのち（生命）と同義である<br />
村木　哲</strong></p>
<p>※2010年7月31日付「図書新聞」より転載</p>
<p>▶<strong>日高てる詩集『めきしこの蕋』</strong><br />
　4.20刊　A6変型判46頁　本体1200円　竹林館</p>
<p>　袖珍本（しゅうちんぼん）という体裁をとった、一九四九年十月に発行された日高てるの第一詩集の復刻版（原本の判型は不明だが袖珍本ではないようだ）である。袖珍本とは、袖という字があるように、衣服の袖のなかに納めて持ち歩くことができるという意味の携帯本（現在でいえば文庫本に相当か）のことである。ソフトカバーで四十六頁という端正さが、詩集名の書体とともに、いい味わいを醸し出している。そして、なによりもこの詩集名は、極めて隠喩に溢れている。“めきしこ”とは、メキシコという国のことを指すのかは不明だとしても、“蕋”は、雄しべ、雌しべの“しべ”にあたる言葉（辞書によれば、「ひも・緒などのふさのもとにつける飾り」という意味もある）なのだが、“めきしこの蕋”から漂うイメージは、一見捉えにくさを感じさせながら、なにか不思議な迷宮世界を垣間見せてくれるような気がしてならない。もとより、詩集名と同じ詩作品が収載されているが、“めきしこ”や“蕋”を直接的に喚起する詩語は見あたらない。そのようなことを思いながら、この詩集に分け入ってみれば、真っ先に詩語の緊密さ、濃密さといったことを感じる。「作品」と題した巻頭に配置された詩篇から、「街」までの十三篇の前半部にそのことは特に際立っているといえる。「さくら」から「年越え」までの後半部九篇（「めきしこの蕋」も含む）までは、詩語の緊密さが解き放たれて自在に遊泳しているかのように感じられていく。この転移していく構成は、なにを意味するのだろうかと考えていくことによって、この詩集の持つ深度に幾らかでも到達できるかもしれない。<br />
　「かなしみに　地をこうる／執ようなる肢体。／いらくさしげる　葉うらはらい。傷む。／膚　むしり。／鱗は　ほろほろ　空に散る。」（「天」）<br />
　「地の涯にあれ。／岩礁の天。／草薔薇を喰みて　渇をかさね。／おお、燃焼の臓腑の抗い。」（「岩礁」）<br />
　「眼窩は昏み　地を噴きあげる。／ああ　これの陽炎。」（「うすばかげろうの炎天」）<br />
　「肢体」、「葉」、「鱗」とも、「いのち（生命）」の象徴としてある。「かなしみ」、「傷む」という心象は、「いのち（生命）」あることの証しといえよう。わたしは「天」や、「岩礁」という言葉に、強い意志を思う。植物の「いのち（生命）」を「喰みて」、「いのち（生命）」を循環・再生させようとする意志とでもいおうか。さらにいえば、「眼窩」もまた「岩礁」に通底する言葉（生命）の濃密性を露にさせていく。そう、この詩人にあっては、言葉とは生命（いのち）と同義であるのだ。<br />
　後半部にあたる二編に触れてみるならば、「まつわりくる　影をひきづり／／今宵　みずからの　ひろげし翅紋。／／その羽毛　狂おしく　あふれくる　いのち／／いづかたにや　おそるべき陽炎となる。」（「翅紋あるゆふべに」）や、「ふかいしづもりを　はらばい／／天のおくがに　ひらいた花／／今宵、月の滴りうけて　沈まん。」（「めきしこの蕋」）には、「あふれくる　いのち」が率直に謳われていく。また、「陽炎」が持つ方位の差異が「岩礁」と「翅紋……」にはあるとみなすならば、この間隙には「いのち」の拡張感とでもいうべきものが潜在している。「めきしこの蕋」とは、「天のおくがに　ひらいた花」であり、「月の滴りうけて」存在する。これは、三木成夫の『胎児の世界』を敷衍させて述べるならば、人類、動物、植物に相渉る生命循環の象徴と捉えてみたい気がするし、この詩人の詩語が放つ世界は、言葉を通した生命の根源を起点としているのだといいたい。ところで、大阪文学学校のSiteのなかで、講師紹介の欄において、日高てる（名誉理事でもある）は次のように述べている。<br />
　「一個の他者としてサルトルから出発した批評としての詩の方法論を社会事象や事件をモチーフとして再構築し表現していきたい。――やさしい言葉で深く。それは『言葉が言うようになるまで言葉を言わなくてはならない』（Ｍ・フーコー）。言葉が言うようになるまでの根源にこだわりたい。体験は思考を欲求し伸ばす。音声表現、文字表現ともに対話により追求しようではありませんか。」<br />
　まさしく、「言葉が言うようになるまでの根源」とは、日高にとって、「生命の根源」と同義であるに違いない。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　（評論家）</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>竹林館祭（合同出版記念会）のご案内</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=155</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=155#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 03 Sep 2010 12:53:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TOPICS]]></category>

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		<description><![CDATA[＊ 竹林館祭（合同出版記念会）のご案内 ＊
竹林館では恒例となりましたが、ここ３年間あまりの出版を記念して、ささやかな会を催すことになりました。これもひとえに著者の皆様、読者の皆様、また温かく見守って下さる皆様のご支援の賜物と深く感謝しております。
当日は異分野の交流も兼ねてくつろいで頂き、楽しく出版をお祝いする会にしたいと考えております。皆様、ぜひご参集くださいませ。
★当日は書籍の展示・販売も予定しております★
日時：2010年10月30日（土）午後6時30分 ～ 9時
場所：リッツカールトンホテル大阪　℡　06-6343-7000
参加費：8500円
（大変申し訳ございませんが、参加費のご負担をお願いいたします。）
♪ ポルトガルギターによるファドの演奏、歌もあります ♪
　　　演奏　月本一史・水谷和大氏
　　　　　　〈エスキーナ・ド・ソン〉
　　　歌（シャンソン）　井上哲士氏
＊間もなくご案内を郵送させていただきますが、お問い合わせがありましたら、
　06-4801-6111（竹林館・左子）までお願い致します。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong>＊ 竹林館祭（合同出版記念会）のご案内 ＊</strong></p>
<p>竹林館では恒例となりましたが、ここ３年間あまりの出版を記念して、ささやかな会を催すことになりました。これもひとえに著者の皆様、読者の皆様、また温かく見守って下さる皆様のご支援の賜物と深く感謝しております。<br />
当日は異分野の交流も兼ねてくつろいで頂き、楽しく出版をお祝いする会にしたいと考えております。皆様、ぜひご参集くださいませ。</p>
<p style="text-align: center;">★当日は書籍の展示・販売も予定しております★</p>
<p style="text-align: center;">日時：<strong>2010年10月30日（土）午後6時30分 ～ 9時</strong><br />
場所：<strong>リッツカールトンホテル大阪</strong>　℡　06-6343-7000<br />
参加費：<strong>8500円</strong><br />
（大変申し訳ございませんが、参加費のご負担をお願いいたします。）</p>
<p style="text-align: center;"><strong>♪ ポルトガルギターによるファドの演奏、歌もあります ♪</strong></p>
<p style="text-align: center;">　　　演奏　月本一史・水谷和大氏<br />
　　　　　　〈エスキーナ・ド・ソン〉<br />
　　　歌（シャンソン）　井上哲士氏</p>
<p style="text-align: center;">＊間もなくご案内を郵送させていただきますが、お問い合わせがありましたら、<br />
　06-4801-6111（竹林館・左子）までお願い致します。</p>
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		<title>「燦詩の会アンソロジー」へのお誘い</title>
		<link>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=149</link>
		<comments>http://www.chikurinkan.co.jp/topics/?p=149#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 03 Sep 2010 07:46:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>chikurinkan</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[TOPICS]]></category>

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		<description><![CDATA[「燦詩の会アンソロジー」へのお誘い
　この度、一九三四年（昭和九年）生まれの皆様にお声をお掛けしております。
　数年前のある会合でたまたま雑談をしておりまして、変転激動の時代を生きてきた者たちが集まり、主義主張、詩論などを離れ、同年代の横断的な詩集を作ってみても面白いのではないかと話題になり、この度お世話をして頂ける出版社もあり、「燦詩の会」と名付け企画してみました。
　私たちの世代は、戦乱激動の時代に巻き込まれ、戦災や学童疎開、海外からの引き揚げなど、またほとんどの人が飢餓を潜り抜け生き残ってきたわけです。語り継ぐべきであろうと信じております。
　諸々の生き様や思いを込めたアンソロジーが出来上がるのではないかと期待しております。
　ただ、このような詩集がそれほど売れるとも思えませんので、実質的に自費出版とならざるを得ず、ご負担をおかけすることになりますが、左記のように企画してみましたので、ご賛同頂き、是非とも大勢の皆様にご参加頂ければと願っております。
発起世話人
小松弘愛　外村文象　なんばみちこ　長津功三良　西岡光秋　毛利真佐樹
記
　*表題　　　「現代詩　燦詩の会　詩集」
　*出版内容　Ａ５版　300頁程度(参加者数に寄り若干の変動あり)ソフトカバー。
　　　　　　　　 発行部数　500部
　*締め切り　2010年　10月末　　発行日　2011年　4月1日頃を予定
　*発行所　　株式会社　竹林館
　*参加分担金　一人　3万円　10冊進呈　それ以上は2割引きにて販売
　*一人　8頁　内1頁は氏名と30字詰　　1頁　18行
　　但し、散文詩や、作品数を沢山入れたい方は、字数・2段組等のご相談に応じます。
■お問い合わせ　および　原稿送付先■
㈱竹林館
〒530-0044　大阪市北区東天満2-9-4千代田ビル東館401
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112
E-mail:home@chikurinkan.co.jp
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong>「燦詩の会アンソロジー」へのお誘い</strong></p>
<p>　この度、一九三四年（昭和九年）生まれの皆様にお声をお掛けしております。<br />
　数年前のある会合でたまたま雑談をしておりまして、変転激動の時代を生きてきた者たちが集まり、主義主張、詩論などを離れ、同年代の横断的な詩集を作ってみても面白いのではないかと話題になり、この度お世話をして頂ける出版社もあり、「燦詩の会」と名付け企画してみました。<br />
　私たちの世代は、戦乱激動の時代に巻き込まれ、戦災や学童疎開、海外からの引き揚げなど、またほとんどの人が飢餓を潜り抜け生き残ってきたわけです。語り継ぐべきであろうと信じております。<br />
　諸々の生き様や思いを込めたアンソロジーが出来上がるのではないかと期待しております。<br />
　ただ、このような詩集がそれほど売れるとも思えませんので、実質的に自費出版とならざるを得ず、ご負担をおかけすることになりますが、左記のように企画してみましたので、ご賛同頂き、是非とも大勢の皆様にご参加頂ければと願っております。</p>
<p style="text-align: center;">発起世話人<br />
小松弘愛　外村文象　なんばみちこ　長津功三良　西岡光秋　毛利真佐樹</p>
<p style="text-align: center;">記</p>
<p style="text-align: left;">　*表題　　　「現代詩　燦詩の会　詩集」<br />
　*出版内容　Ａ５版　300頁程度(参加者数に寄り若干の変動あり)ソフトカバー。<br />
　　　　　　　　 発行部数　500部<br />
　*締め切り　2010年　10月末　　発行日　2011年　4月1日頃を予定<br />
　*発行所　　株式会社　竹林館<br />
　*参加分担金　一人　3万円　10冊進呈　それ以上は2割引きにて販売<br />
　*一人　8頁　内1頁は氏名と30字詰　　1頁　18行<br />
　　但し、散文詩や、作品数を沢山入れたい方は、字数・2段組等のご相談に応じます。</p>
<p style="text-align: center;">■お問い合わせ　および　原稿送付先■</p>
<p style="text-align: center;">㈱<strong>竹林館</strong><br />
〒530-0044　大阪市北区東天満2-9-4千代田ビル東館401<br />
Tel:06-4801-6111  Fax:06-4801-6112<br />
E-mail:home@chikurinkan.co.jp</p>
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